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がんばれ東宮職!
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1958年(昭和33年)11月に明仁皇太子(現天皇)と日清製粉社長の長女正田美智子の婚約が発表されると、マスコミは一斉に二人の出会いを<軽井沢の恋>ともてはやし、それを歓迎した国民は<ミッチーブーム>に踊った。

(略)

皇太子ご成婚は国民の「感動」「感激」・・・つまりは<うさ晴らし>の材料にされた。


そして、こうした美智子人気にムッとしている人がいた。当時の良子皇后である。
民間からお妃選びをするという方針を伝えられた昭和天皇は、共同通信の「皇太子妃特捜班」によると、生物学者だけあってすぐに納得されたといわれる。
 
それを裏付ける証拠がある。昭和天皇の初孫は東久邇信彦(第一皇女照宮の長男)だが、信彦は昭和天皇から直接<結婚の条件>を突きつけられていた。それは、
 ①両親が健在
 ②私(昭和天皇)の家系に近くないこと。
 ③相手の家にガン系統がないこと。
 ④病気や犯罪のない健全な家庭の人であること。

(略)

しかし、良子皇后だけは納得しなかった。
結婚式の前から美智子妃にいろんな意地悪をした。



板垣氏は、いかにも左翼ご活躍時代の皇室記者らしく「オレ、皇室批判は忘れてませんぜ」とでもいいたいのか

皇太子ご成婚は国民の「感動」「感激」・・・つまりは<うさ晴らし>の材料にされた。

皇太子ご成婚=うさ晴らしと呼ぶw

うさ晴らしかな?
子どもだった私の記憶では、生活の苦しさというのはわからなかったが、戦後10年、日本は高度成長で右肩上がりの時代に入っている。

  

今まで高額紙幣というと1000円札が一番大きかったわけだが、昭和32年、5000円札が登場する。
戦後すぐのインフレ抑制のための新円切り替えの大混乱を経て、安倍ちゃんのじいさんの岸内閣が出来、経済白書が「もはや戦後ではない」とキッパリw



発展途上国から、落ち着いた大人の社会へ。
中産階級の増加は、生活の充実を目指し始めていた。
戦前、ソビエトから受注建造した砕氷船「宗谷」は引き渡し契約がうまくいかず、戦後引き揚げ船などにも使われていたが、「国際観測年」ということで、南極越冬隊を編成しようと、朝日新聞などがキャンペーンを張り、子供の貯金までかき集めて(私はお年玉を出した覚えがある)改造し、出発した。
白瀬矗が占有した「大和雪原」は棚氷部分だということもわかって、敗戦と同時に権利を放棄していたので、南極探検は一から出直しだった。
ま、とにかく、子どもがお年玉やお小遣いをもらって貯金し、それを社会的な何かに寄付するという世の中にはなっていたわけである。

三種の神器と言われた電化製品を庶民も頑張って買い、また輸出して外貨を稼いだ。
今のアベノミクスは、「またいつか株価下がるんじゃないか」とビクビクしながら、投資してるけども、あの時は、働いてお金貯めたら「夢の生活に手が届く」という熱気みたいなもんがあったように思う。
戦争中、「お国のために」、三つ編みに鉢巻姿で、女学生ながら旋盤をとりまわしていたうちのおふくろさまは、この頃は脱兎Ⅲを買ってのりまわしていた。

板垣さんは、わざと見ないようにしているのか、どうしても良子皇后悪者説に持って行こうとしているように見える。
皇族同士の結婚で血が濃くなっているから、平民から新しい血を入れるのは、むしろ皇室のためになることなのだ、と家畜のブリーディングみたいなことを正論として持ってきて、その証拠として、東久邇信彦さんに言った昭和天皇の言葉を紹介しているが信彦さんの結婚は昭和47年、皇太子の結婚は昭和34年、敗戦から皇太子ご成婚までとほぼ同じ年月が流れている。
その間に、昭和天皇は長女の照宮さまを癌でなくされている。
この4つの条件が、果たして、昭和天皇が生物的な掛け合わせだけで皇族の結婚のことを考えておられた証拠になるのかどうか?

末娘の貴子さまは島津さまと、義宮さまは津軽伯爵家のお嬢さまと、三笠宮家の甯子さまは細川さまと結婚された。
このご縁組は、昭和天皇にとってすべて不本意であったのか?



板垣さんのこの本が書かれたのは2005年、良子皇后が美智子妃を虐めたという証拠として出されるのが、入江相政日記と、昭和50年の訪米に際し、お見送りの美智子妃をとばしてしまったテレビ映像であるが、入江相政日記が朝日新聞から出版されたのは平成に入ってからである。

家長制度は戦後なくなったが、嫁姑問題と言うのは、個々の生活の中にずっとあったわけで、今も少なからずあるわけだが、美智子妃の結婚と共に読まれるようになった女性誌にとって、かっこうの話題であったろう。
美智子妃も苦労されたかと思う。
しかし、良子皇后の苦労は、それよりももっと深刻なものではなかったか?

敗戦と共に家長制度はなくなり、旧時代のものは全てよくないとされた。
「戦前」VS「戦後」、「戦争」VS「平和」、「大日本帝国憲法」VS「日本国憲法」、全て「善」と「悪」の対立に仕立てられた中に、天皇だけは「象徴」として残った。
その中に家族でありながら、ねじれ現象を表すかのように、旧時代の代表のように良子さまが叩かれた。
そんな気がしてならないのは、板垣さんが書いた、この宇佐美宮内庁長官のことばである。

「ところで義宮妃とは関係ないがね、皇后さんていうのはわがままでネ、お上(昭和天皇のこと)も手を焼いているよ。いつだったかの国内旅行で、停車する駅でおそろいで窓から姿を見せなければいけないのに、皇后さんは嫌だという。結局お上だけということがあった。両陛下の旅行なのにお上だけの写真を載せた新聞があるはずだよ」

板垣さんは、これを「義宮妃には旧華族から」の巻き返しがある、と裏を読んだ、と書いているが、義宮妃のことは置いておいて、宮内庁長官が、なぜわざわざ新入りの宮内記者に、皇后の悪口を吹き込むのか?

旧華族から義宮妃を選ばせないために、皇族出身の良子皇后がわがままである(お姫様出身は困ったもんだ)、という印象操作をするためだったろうか?

板垣は、美智子さんの人気に良子皇后が「ムッとしている」と書いているが、良子皇后は「平民からというのはけしからん」と秩父宮妃や高松宮妃を呼んで訴えた、と入江日記に出てくるのは皇室会議の一か月前のことである。
つまりそれまではツンボ桟敷に置かれていたということである。
その一年前、昭和32年11月29日の入江日記には

「小野君はもう北白川さんに決まったといふ原稿の依頼。桐山君、清水君が来たが、これはまだ知らないらしい。」

と書いている。
小野君というのは読売新聞の小野昇記者である。桐山・清水も他新聞の記者であろう。
北白川さんというのは東宮妃候補として有力視されていた北白川肇子さんである。
読売新聞の記者が、侍従さんに「北白川さんに決まったという原稿を書いてくれ」と依頼していて、また別の記者も来たが、まだ知らないようだ、と言うわけである。
これからすると、東宮妃は北白川さんでほぼ本決まりだったのだろう。

しかし、繰り返し繰り返し週刊誌に書かれ、皇室特番で流された「テニスコートの恋」。
昭和32年8月19日、旧軽井沢のテニスコートで、クラブ会員同士の懇親トーナメントが催された時、英国人の少年と組んだ美しい女性が、明仁皇太子が打っても打っても粘り強く打ち返して来て、結局負けてしまったが、負けた悔しさよりもその女性が強く印象に残り、その後、テニスを通じて愛を深められていった、というもの。
しかし、その年の12月には読売新聞の記者が「北白川さんに決まった」という原稿を入江侍従に依頼しているところを見ると、明仁さんは、一度は恋をあきらめようとした?
しかしあきらめきれず、33年8月、思い出のテニスコートでプロポーズ。
しかし、美智子さんの方は、身分が違いますと、一度は断ったものの、明仁さんはあきらめない、美智子さんもなぜか悩んで、9月にベルギーの「聖心世界同窓会」へ日本代表として出かけ、1か月ほど世界旅行をして帰って来る。

美智子さんの帰って来た後、どういう展開になったのかわからないが、入江日記に「東宮のご縁談」の記述が再び現れるのは、美智子さんが帰って来てすぐの10月11日である。

ただ、入江侍従の記述は、板垣が書いたのとはちょっとニュアンスが違う。

10月11日
東宮さまのご縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことを皇后さまが勢津君さまと喜久君さまを招んでお訴へになった由、この夏御殿場でも勢津、喜久に松平信子といふ顔ぶれで田島さんに同じ趣旨のことをいはれた由。併しそれにしてもそんなことをただぢっと見つめてゐるだけとは情けない知恵のない話である。

つまり、夏に一度「平民からなんてダメです」と良子さまは秩父宮妃たちと一緒に田島前宮内庁長官に訴えているわけだが、それについて、何のリアクションもしなかったということのようである。
良子さまの方は、それで話は通ったと思ったろう。
それがどっこいそうではなかった。

ただぢっと見つめてゐるだけとは情けない知恵のない話である。

話を通そうとするなら、知恵をしぼって、何とかせんかい、というのが、おそばにいる入江侍従の感想なのだ。

美智子教信者、松崎敏弥の「テニスコートの恋から始まった『茨の道50年』@rink によると、

今上天皇の同級生で、元共同通信記者、橋本明氏の著書『美智子さまの恋文』によれば、それまでお妃選びで人選を担っていた学習院同窓会「常磐会」の松平信子会長のもとに婚約相手の内定が伝えられたのは正式決定となる皇室会議の2日前だった。松平会長は事前相談が何もなかったことに憤慨し、報告に出向いた黒木従達侍従に「この先何が起ころうと、責任は一切あなた方にありますからね」と怒りをあらわにしたという。どうも反対されることがわかっているから、明仁親王は相談せずに内密にことを進めていらした節がある。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091005-01/2.htm

ということで、入江日記の記述ともあうし、良子さまを一方的に悪者扱いするのもどうかと思う。


11月15日
昨日両陛下に申し上げたら皇后さまが非常にご機嫌が悪かったといふ。明日菊栄親睦会もあるからといふので稲田さんに申し上げてもらふことにする。

11月24日
皇后さまにいろいろ申し上げようといふのだがおぐしすまし(洗髪のこと)とかで申し上げられない。3時30分から4時10分までホールで申し上げる。よくお聞き下さる。

11月25日
侍従次長に昨日のこと報告する。
3時に出て黒木、田端両君と五反田の正田家へ行く。
質素な家だし、みんな立派ないい方である。
美智子さん、綺麗でそして立派である。

11月26日
明日のお言葉ぶりについて申し上げる。それで通ったから明日は皇后さまも一応やって下さることは間違いない。

11月27日
10時からの皇室会議は全員一致可決。そのことを長官よりお上に奏上。皇后さまには申し上げないといふので驚いて次長にお文庫へ行ってもらふ。


入江日記の記述を抜き出してみたが、皇室会議の10日ほど前に、両陛下に話して、皇后さまの機嫌が悪かったというが、当たり前の話のように思う。
これは板垣が「平民を下に見ている」と怒るのとは別である。
皇后が反対しているからと、コソコソと内緒でやる方が悪いと思う。
だって、皇太子の結婚話だもの。
最後までだまっているわけにはいかないし、話したら話したで、長官にいたっては、「皇室会議」の報告も、天皇だけには言って、皇后には話さないと、あくまで部外者扱いをしているのである。




美智子妃には華族の端くれでもいいから、うえつ方のご親戚はいなかったのかしら?
純粋な民間出身?
「旧華族」=「悪」VS「民間」=「善」という対立軸にはぴったりと長官は思ったのか?
美智子妃は、国民の代表のつもりだったのか?

  

朝日クロニクル「週刊20世紀」1959年

朝日新聞社はお妃教育に通う美智子さんに「しっかりネ ミッチー」とタイトルをつける。
今まさに、皇室という伏魔殿に切り込むべく、ひたと先を見据える正田美智子さんの顔が大写しになっている。
「しっかりネミッチー」の裏に「皇族なんかに負けるんじゃないよ」という国民?の大応援があるかのようである。



しかし、何度も言うように、人間の営みというものは、そんなに簡単には変わらない。
善悪で簡単に割り切れるものではないし、割り切るべきものでもない。

息子の結婚で、母親が「自分たちと同じような境遇で生まれ育った女性」を望んで何が悪いのだろうか?
おそらくはそういう育ちならば、考え方も生き方も、理解できるだろうと考えてのことである。
事実、義宮妃になられた津軽華子さんは、戦前は伯爵家でありながら、戦後の暮らしは、まさしく平民だった。
正田家と違い、デパートの外商がどこも入っておらず、学習院大学卒の社員のつてで、ようやく津軽家にコンタクトを取った、という話もあるくらいだ。

宇佐美毅宮内庁長官の宇佐美家というのは、三井・三菱両財閥に繋がる華麗な閨閥を持っているし、正田家も、美智子さんが皇太子妃になってから、むしろ積極的に閨閥つくりをしている。
それぞれの家がそれぞれの考えで、結婚という縁を結んでいるのに、なぜ、皇室はそれが許されなかったか?
良子皇后をわがままで意地悪な姑に仕立て上げてまで、宮内庁長官と、マスコミは、美智子妃を持ち上げたかった、その真意はどこにあったのだろうか?

週刊誌の方は、昭和34年に、もう週刊誌ブームを次のように分析している。

なぜ週刊誌が続々と発行され、それがおおむね成功したのかについては、いろいろな解釈がありうるが、最大の理由は日本の就労者の多くがサラリーマン化し、電車を利用した「通勤文化」ができあがったからであろう。週刊誌は、大都市圏での平均通勤時間が1時間、というサラリーマンの車中での適当な暇つぶしの手段という側面が強い。しかも週刊誌はさまざまな「話題」をつねに用意していてくれる。「話のタネ」には事欠かない。週刊誌ブームはこんなふうにして形成され、今日まで継承されているのである。(加藤秀俊)



美智子妃の話題も「ネタ」にすぎなかった?
そして、週刊誌は、ネタのために、うそ八百を今日も垂れ流す?
週刊誌利用を思いついた人間のために?
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自己紹介:
某掲示板で知り合って、メールをやりとりするようになった仲良し?人組です。
考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
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