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がんばれ東宮職!
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2005年に、なんで板垣恭介がこんな本を書いたのかな?と思う。
発行元・大月書店は、マルクス関係で有名なところだから、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」というタイトルからみても、天皇制をなくそうの意図で書かれたものかとも思ったのだが、「終わりに」のところで、女性天皇を可能にしようとしている小泉首相を、ファシズムの萌芽とまで書いているわりには、「いまや皇室は女帝だよ」と宮内庁幹部が言ったという記者に、「どこでもかかあ天下とか恐妻家はいるもんだ」と言い返す板垣は、結局は、「美智子さん」だけが「正」であり「善」なのだ。

記者のたばこに火をつけてやる行為が、ホステス風であるとか、ないとかとは別に、皇太子と同い年、美智子妃とは1歳違いのこの板垣と言う記者の、無頼を装ってはいるものの、その見識の低さ、ちょっとした雑学的知識でえらそうにしゃべってしまう見栄のはりように、うかうかと乗っかる皇太子妃の「わいずではないくればー」さ。
それが称賛をもってずーーーっと書かれているのである。
雅子さまのことも出てくるが、大して心配はしていない。
むしろ、美智子さんが皇后になってから「女帝」と批判され、倒れたのを心配して、これを書いたようだ。
それは最終章だが、板垣は、皇后倒れるの報を聞いて

「いじめの元凶の香淳皇后は、相当前からすっかり恍惚になっていると宮内庁筋から聞いていて、美智子皇后もこれで一安心だなと推理していたから、もしかして、とても悪い病気ではないか!と思ったからだ。

と、書いている。
薄気味が悪いほど、美智子さんが心配で、心配で、香淳皇后がヒール役として頭にこびりついているらしい。
しかし、天皇皇后のまわりにいて、まだ発信力をキープしている同い年世代の男たちが(橋本明とか西尾幹二なんかもそうだが)右も左も、とにかく美智子さんのすることなすことは全て正しく美しく清らかだと思っているのは確かで、私のように、むしろその後の世代だが、美智子さん世代が否定していることも、別の目で見ることができる者にとっては、「このままでは、皇室と言うものがゆがめられてしまうのではないか」という懸念を持つのだ。
天皇・皇后というものは、長い歴史の中にずっと存在し続けてきて、敗戦を境に、何もアタマっから「否定」されたり、「糾弾」されたり、果ては「ファシズム」よばわりされたりする覚えはないのではないか?
(美智子さん世代には、とにかくイエスかノーかと短絡的に決めつける人が多く、唐突に問題をずらしたり、強引に自分の結論に持って行こうとする力技がやたら目立つ気がする)

皇太子さまが小和田雅子さんという稀代の才色兼備の女性を人生の伴侶として選ばれたことを、皇室の「底力」と思っている私としては、皇室の美点と善が全て美智子皇后へ収斂されるという考え方には納得しかねるのである。

その納得できないところをこれからゆっくり見て行こうと思う。

資料の整理が悪く、散逸しておりますので、見つけたものによっては、話が前後したり、後で書き加えたり、直したりもしますので、すみませんが、ながーーーーくお付き合いくださいませ。
 

1958年(昭和33年)11月に明仁皇太子(現天皇)と日清製粉社長の長女正田美智子の婚約が発表されると、マスコミは一斉に二人の出会いを<軽井沢の恋>ともてはやし、それを歓迎した国民は<ミッチーブーム>に踊った。

(略)

皇太子ご成婚は国民の「感動」「感激」・・・つまりは<うさ晴らし>の材料にされた。


そして、こうした美智子人気にムッとしている人がいた。当時の良子皇后である。
民間からお妃選びをするという方針を伝えられた昭和天皇は、共同通信の「皇太子妃特捜班」によると、生物学者だけあってすぐに納得されたといわれる。
 
それを裏付ける証拠がある。昭和天皇の初孫は東久邇信彦(第一皇女照宮の長男)だが、信彦は昭和天皇から直接<結婚の条件>を突きつけられていた。それは、
 ①両親が健在
 ②私(昭和天皇)の家系に近くないこと。
 ③相手の家にガン系統がないこと。
 ④病気や犯罪のない健全な家庭の人であること。

(略)

しかし、良子皇后だけは納得しなかった。
結婚式の前から美智子妃にいろんな意地悪をした。



板垣氏は、いかにも左翼ご活躍時代の皇室記者らしく「オレ、皇室批判は忘れてませんぜ」とでもいいたいのか

皇太子ご成婚は国民の「感動」「感激」・・・つまりは<うさ晴らし>の材料にされた。

皇太子ご成婚=うさ晴らしと呼ぶw

うさ晴らしかな?
子どもだった私の記憶では、生活の苦しさというのはわからなかったが、戦後10年、日本は高度成長で右肩上がりの時代に入っている。

  

今まで高額紙幣というと1000円札が一番大きかったわけだが、昭和32年、5000円札が登場する。
戦後すぐのインフレ抑制のための新円切り替えの大混乱を経て、安倍ちゃんのじいさんの岸内閣が出来、経済白書が「もはや戦後ではない」とキッパリw



発展途上国から、落ち着いた大人の社会へ。
中産階級の増加は、生活の充実を目指し始めていた。
戦前、ソビエトから受注建造した砕氷船「宗谷」は引き渡し契約がうまくいかず、戦後引き揚げ船などにも使われていたが、「国際観測年」ということで、南極越冬隊を編成しようと、朝日新聞などがキャンペーンを張り、子供の貯金までかき集めて(私はお年玉を出した覚えがある)改造し、出発した。
白瀬矗が占有した「大和雪原」は棚氷部分だということもわかって、敗戦と同時に権利を放棄していたので、南極探検は一から出直しだった。
ま、とにかく、子どもがお年玉やお小遣いをもらって貯金し、それを社会的な何かに寄付するという世の中にはなっていたわけである。

三種の神器と言われた電化製品を庶民も頑張って買い、また輸出して外貨を稼いだ。
今のアベノミクスは、「またいつか株価下がるんじゃないか」とビクビクしながら、投資してるけども、あの時は、働いてお金貯めたら「夢の生活に手が届く」という熱気みたいなもんがあったように思う。
戦争中、「お国のために」、三つ編みに鉢巻姿で、女学生ながら旋盤をとりまわしていたうちのおふくろさまは、この頃は脱兎Ⅲを買ってのりまわしていた。

板垣さんは、わざと見ないようにしているのか、どうしても良子皇后悪者説に持って行こうとしているように見える。
皇族同士の結婚で血が濃くなっているから、平民から新しい血を入れるのは、むしろ皇室のためになることなのだ、と家畜のブリーディングみたいなことを正論として持ってきて、その証拠として、東久邇信彦さんに言った昭和天皇の言葉を紹介しているが信彦さんの結婚は昭和47年、皇太子の結婚は昭和34年、敗戦から皇太子ご成婚までとほぼ同じ年月が流れている。
その間に、昭和天皇は長女の照宮さまを癌でなくされている。
この4つの条件が、果たして、昭和天皇が生物的な掛け合わせだけで皇族の結婚のことを考えておられた証拠になるのかどうか?

末娘の貴子さまは島津さまと、義宮さまは津軽伯爵家のお嬢さまと、三笠宮家の甯子さまは細川さまと結婚された。
このご縁組は、昭和天皇にとってすべて不本意であったのか?



板垣さんのこの本が書かれたのは2005年、良子皇后が美智子妃を虐めたという証拠として出されるのが、入江相政日記と、昭和50年の訪米に際し、お見送りの美智子妃をとばしてしまったテレビ映像であるが、入江相政日記が朝日新聞から出版されたのは平成に入ってからである。

家長制度は戦後なくなったが、嫁姑問題と言うのは、個々の生活の中にずっとあったわけで、今も少なからずあるわけだが、美智子妃の結婚と共に読まれるようになった女性誌にとって、かっこうの話題であったろう。
美智子妃も苦労されたかと思う。
しかし、良子皇后の苦労は、それよりももっと深刻なものではなかったか?

敗戦と共に家長制度はなくなり、旧時代のものは全てよくないとされた。
「戦前」VS「戦後」、「戦争」VS「平和」、「大日本帝国憲法」VS「日本国憲法」、全て「善」と「悪」の対立に仕立てられた中に、天皇だけは「象徴」として残った。
その中に家族でありながら、ねじれ現象を表すかのように、旧時代の代表のように良子さまが叩かれた。
そんな気がしてならないのは、板垣さんが書いた、この宇佐美宮内庁長官のことばである。

「ところで義宮妃とは関係ないがね、皇后さんていうのはわがままでネ、お上(昭和天皇のこと)も手を焼いているよ。いつだったかの国内旅行で、停車する駅でおそろいで窓から姿を見せなければいけないのに、皇后さんは嫌だという。結局お上だけということがあった。両陛下の旅行なのにお上だけの写真を載せた新聞があるはずだよ」

板垣さんは、これを「義宮妃には旧華族から」の巻き返しがある、と裏を読んだ、と書いているが、義宮妃のことは置いておいて、宮内庁長官が、なぜわざわざ新入りの宮内記者に、皇后の悪口を吹き込むのか?

旧華族から義宮妃を選ばせないために、皇族出身の良子皇后がわがままである(お姫様出身は困ったもんだ)、という印象操作をするためだったろうか?

板垣は、美智子さんの人気に良子皇后が「ムッとしている」と書いているが、良子皇后は「平民からというのはけしからん」と秩父宮妃や高松宮妃を呼んで訴えた、と入江日記に出てくるのは皇室会議の一か月前のことである。
つまりそれまではツンボ桟敷に置かれていたということである。
その一年前、昭和32年11月29日の入江日記には

「小野君はもう北白川さんに決まったといふ原稿の依頼。桐山君、清水君が来たが、これはまだ知らないらしい。」

と書いている。
小野君というのは読売新聞の小野昇記者である。桐山・清水も他新聞の記者であろう。
北白川さんというのは東宮妃候補として有力視されていた北白川肇子さんである。
読売新聞の記者が、侍従さんに「北白川さんに決まったという原稿を書いてくれ」と依頼していて、また別の記者も来たが、まだ知らないようだ、と言うわけである。
これからすると、東宮妃は北白川さんでほぼ本決まりだったのだろう。

しかし、繰り返し繰り返し週刊誌に書かれ、皇室特番で流された「テニスコートの恋」。
昭和32年8月19日、旧軽井沢のテニスコートで、クラブ会員同士の懇親トーナメントが催された時、英国人の少年と組んだ美しい女性が、明仁皇太子が打っても打っても粘り強く打ち返して来て、結局負けてしまったが、負けた悔しさよりもその女性が強く印象に残り、その後、テニスを通じて愛を深められていった、というもの。
しかし、その年の12月には読売新聞の記者が「北白川さんに決まった」という原稿を入江侍従に依頼しているところを見ると、明仁さんは、一度は恋をあきらめようとした?
しかしあきらめきれず、33年8月、思い出のテニスコートでプロポーズ。
しかし、美智子さんの方は、身分が違いますと、一度は断ったものの、明仁さんはあきらめない、美智子さんもなぜか悩んで、9月にベルギーの「聖心世界同窓会」へ日本代表として出かけ、1か月ほど世界旅行をして帰って来る。

美智子さんの帰って来た後、どういう展開になったのかわからないが、入江日記に「東宮のご縁談」の記述が再び現れるのは、美智子さんが帰って来てすぐの10月11日である。

ただ、入江侍従の記述は、板垣が書いたのとはちょっとニュアンスが違う。

10月11日
東宮さまのご縁談について平民からとは怪しからんといふやうなことを皇后さまが勢津君さまと喜久君さまを招んでお訴へになった由、この夏御殿場でも勢津、喜久に松平信子といふ顔ぶれで田島さんに同じ趣旨のことをいはれた由。併しそれにしてもそんなことをただぢっと見つめてゐるだけとは情けない知恵のない話である。

つまり、夏に一度「平民からなんてダメです」と良子さまは秩父宮妃たちと一緒に田島前宮内庁長官に訴えているわけだが、それについて、何のリアクションもしなかったということのようである。
良子さまの方は、それで話は通ったと思ったろう。
それがどっこいそうではなかった。

ただぢっと見つめてゐるだけとは情けない知恵のない話である。

話を通そうとするなら、知恵をしぼって、何とかせんかい、というのが、おそばにいる入江侍従の感想なのだ。

美智子教信者、松崎敏弥の「テニスコートの恋から始まった『茨の道50年』@rink によると、

今上天皇の同級生で、元共同通信記者、橋本明氏の著書『美智子さまの恋文』によれば、それまでお妃選びで人選を担っていた学習院同窓会「常磐会」の松平信子会長のもとに婚約相手の内定が伝えられたのは正式決定となる皇室会議の2日前だった。松平会長は事前相談が何もなかったことに憤慨し、報告に出向いた黒木従達侍従に「この先何が起ころうと、責任は一切あなた方にありますからね」と怒りをあらわにしたという。どうも反対されることがわかっているから、明仁親王は相談せずに内密にことを進めていらした節がある。

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20091005-01/2.htm

ということで、入江日記の記述ともあうし、良子さまを一方的に悪者扱いするのもどうかと思う。


11月15日
昨日両陛下に申し上げたら皇后さまが非常にご機嫌が悪かったといふ。明日菊栄親睦会もあるからといふので稲田さんに申し上げてもらふことにする。

11月24日
皇后さまにいろいろ申し上げようといふのだがおぐしすまし(洗髪のこと)とかで申し上げられない。3時30分から4時10分までホールで申し上げる。よくお聞き下さる。

11月25日
侍従次長に昨日のこと報告する。
3時に出て黒木、田端両君と五反田の正田家へ行く。
質素な家だし、みんな立派ないい方である。
美智子さん、綺麗でそして立派である。

11月26日
明日のお言葉ぶりについて申し上げる。それで通ったから明日は皇后さまも一応やって下さることは間違いない。

11月27日
10時からの皇室会議は全員一致可決。そのことを長官よりお上に奏上。皇后さまには申し上げないといふので驚いて次長にお文庫へ行ってもらふ。


入江日記の記述を抜き出してみたが、皇室会議の10日ほど前に、両陛下に話して、皇后さまの機嫌が悪かったというが、当たり前の話のように思う。
これは板垣が「平民を下に見ている」と怒るのとは別である。
皇后が反対しているからと、コソコソと内緒でやる方が悪いと思う。
だって、皇太子の結婚話だもの。
最後までだまっているわけにはいかないし、話したら話したで、長官にいたっては、「皇室会議」の報告も、天皇だけには言って、皇后には話さないと、あくまで部外者扱いをしているのである。




美智子妃には華族の端くれでもいいから、うえつ方のご親戚はいなかったのかしら?
純粋な民間出身?
「旧華族」=「悪」VS「民間」=「善」という対立軸にはぴったりと長官は思ったのか?
美智子妃は、国民の代表のつもりだったのか?

  

朝日クロニクル「週刊20世紀」1959年

朝日新聞社はお妃教育に通う美智子さんに「しっかりネ ミッチー」とタイトルをつける。
今まさに、皇室という伏魔殿に切り込むべく、ひたと先を見据える正田美智子さんの顔が大写しになっている。
「しっかりネミッチー」の裏に「皇族なんかに負けるんじゃないよ」という国民?の大応援があるかのようである。



しかし、何度も言うように、人間の営みというものは、そんなに簡単には変わらない。
善悪で簡単に割り切れるものではないし、割り切るべきものでもない。

息子の結婚で、母親が「自分たちと同じような境遇で生まれ育った女性」を望んで何が悪いのだろうか?
おそらくはそういう育ちならば、考え方も生き方も、理解できるだろうと考えてのことである。
事実、義宮妃になられた津軽華子さんは、戦前は伯爵家でありながら、戦後の暮らしは、まさしく平民だった。
正田家と違い、デパートの外商がどこも入っておらず、学習院大学卒の社員のつてで、ようやく津軽家にコンタクトを取った、という話もあるくらいだ。

宇佐美毅宮内庁長官の宇佐美家というのは、三井・三菱両財閥に繋がる華麗な閨閥を持っているし、正田家も、美智子さんが皇太子妃になってから、むしろ積極的に閨閥つくりをしている。
それぞれの家がそれぞれの考えで、結婚という縁を結んでいるのに、なぜ、皇室はそれが許されなかったか?
良子皇后をわがままで意地悪な姑に仕立て上げてまで、宮内庁長官と、マスコミは、美智子妃を持ち上げたかった、その真意はどこにあったのだろうか?

週刊誌の方は、昭和34年に、もう週刊誌ブームを次のように分析している。

なぜ週刊誌が続々と発行され、それがおおむね成功したのかについては、いろいろな解釈がありうるが、最大の理由は日本の就労者の多くがサラリーマン化し、電車を利用した「通勤文化」ができあがったからであろう。週刊誌は、大都市圏での平均通勤時間が1時間、というサラリーマンの車中での適当な暇つぶしの手段という側面が強い。しかも週刊誌はさまざまな「話題」をつねに用意していてくれる。「話のタネ」には事欠かない。週刊誌ブームはこんなふうにして形成され、今日まで継承されているのである。(加藤秀俊)



美智子妃の話題も「ネタ」にすぎなかった?
そして、週刊誌は、ネタのために、うそ八百を今日も垂れ流す?
週刊誌利用を思いついた人間のために?
 

板垣恭介を見ていると、ヒワイもこんな風に宮内庁内部に食い込んで行って、自分もいっぱしの「皇族を駒のように自由に動かすことの出来る立ち場」と勘違いしていったかな?と思うことがある。

しかし、昭和天皇香淳皇后両陛下(とくに香淳さま)は本当にお気の毒だ。
皇族の姫と生まれ、皇太子妃となられ、日嗣の皇子を儲けられて、それまでの習わしに従って子女を教育されたが、溢れる母性はまた別で、その愛情を惜しみなくお子さまへ傾けておいでになったと思うのだが(数々のお写真がそれを雄弁に物語っている)、戦争に負けて世の中変わったとは言え、宮内庁長官にこのように言われる覚えはないだろう。
長官の言う相手が、また、宮内庁担当の記者さんだ。

「家系の正しい人と言ったってねぇイタさん、こっちだってお妾さんの子の孫だよ。そんな固いことは言えませんや」

宇佐美毅の家族・親族(wikiより)
父宇佐美勝夫は、東京帝国大学文学部・法学部卒業後、内務省に入省。富山県知事などを経て、内務次官、東京府知事などを歴任し、のちに貴族院議員に勅選された。母芳は、大蔵大臣、商工大臣を勤めた池田成彬の妹。兄宇佐美洵(うさみ まこと)は、慶應義塾大学卒業後、三菱銀行に入行。頭取を経て日本銀行総裁を務める。
また、従妹の敏(池田成彬の長女)は三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の次男にあたる元三菱製紙会長・岩崎隆弥に、叔母(母の妹)は元三菱銀行頭取の加藤武男にそれぞれ嫁いでいる。三菱ふそうトラック・バスの前会長・宇佐美隆は毅・洵兄弟の甥にあたる。

へぇへぇ、ご立派な家系でw
自分の父親は天皇陛下の勅撰によって貴族院議員になり、自分も宮内庁長官になって禄を食んでいるくせに、『妾の子の孫』とは何事だ。
と言うより、東京帝国大学文学部・法学部卒業後、高等文官試験を見事パスした頭のくせに、現在の価値観と全然違う価値観の時代のことをあげつらって、「天皇制廃止」を願っている新聞記者を喜ばせるだけの皇族を貶めるようなことを言って、何のトクがあるんだろう?
戦後から数えて15年、まぁ、皇太子妃や義宮妃選びはもうちょっと前からだろうが、本人たちはともかく、親やまわりの大人は、前の時代を「良」とし、どっぷりつかって、そこで生きてきた人たちである。
別にソーシャルクライマーで、その地位になった人たちではない。
それに、子どもの伴侶には「良い人」をと願うのが親の情である(特に母親だったらそうだろうと思う)。
時代が変わったのだから、と言うならまだしも、妾の子孫だから、格落ちでも仕方がない、と言われる覚えはないのである。


板垣はこの後延々と香淳さまの悪口を言い、美智子さんを褒め称えているのだが、現在、皇太子ご夫妻を虐めている宮内庁長官の発言やマスゴミや皇室ジャーナリストたちの傲慢さを彷彿とさせる。

宇佐美や小泉が、民間からの皇太子妃選びに踏み切ったのは、このような天皇家の『血の衰弱』があった。これを打開するのには天皇家への新しい『血の導入』が必要だ。白羽の矢が立ったのが美智子妃だった。

ぷぷぷ。
こういう場合は「正田美智子だった」と書くもんだよ、普通ならね。
他のところは全部敬称ナシで、いきなり「美智子妃」だもんなー。
天皇制廃止を叫んでるなら、『血の衰弱』もへったくれもないやね。
しれっと「皇族同士の方がいいんじゃないですか」と言ってもよかろうにw

やっぱり宮内庁長官も新聞記者も、えらそうなことを言うけど「贔屓」で動いているんだよ。

香淳さまは、美智子さんに反対したから、キライ。
雅子さまは、美智子さんより上になりそうだから、キライ。

皇室報道って、最後のところは、これなんかね?
ほんとレベル低いー。



あ、今気が付いた。

義宮妃特捜班による『花嫁の条件』

⑧ 父親が品行方正であること。

父親だけの話なのかw
天皇家を「妾の子孫」と言う宮内庁長官なんだから、この⑧も削除したってよさそうだw
 

天皇制廃止を宇佐美毅宮内庁長官に訴えて、反対に「おもしろいやつだ」と目をかけてもらったのは、これからの仕事のための自分なりの工夫といえばそれまでなので、どうっとは思わないが、「なぜ天皇制廃止なのか」というのがよくわからない。
宇佐美もそれを聞かない。「どうやって無くすンだ?」なんて聞いている。
これははぐらかしなんだろうと思う。

15ページまでに、板垣の「なぜ天皇制をなくすのか、その理由」は、「はじめに」というところに関連文がちょっと出てくる。

1945(昭和20)年8月15日、僕は旧制中学1年生だった。満12歳7か月と3日。
昭和天皇を『現人神』だと教育され、世界を天皇の慈悲による政治で解放する『八紘一宇の精神』のために、片道燃料の飛行機に爆弾を積んでアメリカの軍艦に体当たりして死ぬことを希望(のぞみ)としていた、アホで一途な軍国少年だった。
天皇のために死ぬことは『悠久の大義』に生きることだと教えられ、信じていた。生存率ゼロの作戦を発明した軍部の偉い人はこれを『神風特別攻撃隊』と名付けていた。「特攻」のことである。
そしてのちに、敗戦当時すでに僕には乗るべき満足な航空機もなければ、燃料もなかったということを知る。このような滑稽で、しかし笑うことのできない、切ない歴史認識から、僕の戦後は始まった。
戦没学生、特攻航空兵、人間魚雷などで死んだ兵士や先輩学生たちの手記を泣きながら読んだ。「天皇制とはいったい何なのだ!」といつも考えるようになった。

戦争の悲劇は涙なしではすまない。
すまないが、そこからどうしていきなり「天皇制」が出てくるのかよくわからない。
この文章からでは、板垣は「天皇制」というのは、「天皇が戦争に行け」と命令し、国民が天皇のために死ぬこと、と思っていたということになる。
これは、旧制中学1年で戦後を迎え、その後、戦没学生たちの手記を読んでのことだよね。
子どものうちはそれでいいと思うんだけど、いい大人になってもその程度だったんだろうか?

それよりも12ページの

「また(戦前・戦中時代の宮内省)記者クラブに加盟申請すると警察や憲兵が身上調査をしたともいい、僕のおやじなんかは昭和初期に小樽高商のアカ狩りで追放された『前科』があり、戦争中は国策通信社の社員だったが、いつも特高のデカさんの監視下におかれていたから、世が世ならば僕のクラブ入会はみとめられなかっただろう。」

という記述があるが、「天皇制」云々はむしろこちらの方からの影響が大きいんではなかろうか?
どうもわざと親の影響を抜かして書いている「天皇制廃止」である。

(あ、もっともこれは私の感想文ですからね)



「(天皇制廃止は)賛成じゃあないけれど、面白い考え方だナ。まあ皇族にもいろいろあって、品位とは関係ない人が結構いますがネ。それに、天皇制というのは(後略)」とか

昭和天皇が戦後各企業を回った時、戦前とは違うんだから、(歓迎行事など)簡略化してくれと宮内庁が頼んでも、大げさにやったのは新聞社だった、
「だからイタさん、君なんかも会社で天皇制廃止なんていうとロクなことないんじゃないか?」と宇佐美が、板垣の新聞社内での立場を心配してやると、板垣は内心こうつぶやくのだ。

「おぬし出来るな・・・」と思った。この人腹が座っていた。
宮中の際どい話にも明快率直に答えてくれて、オフレコの話を含めて、大切なニュース・ソースになってくれた。

やれやれ、一人でいきがられても意味わかんないよ。
何が「おぬし出来るな」だよ。
25年も宮内庁長官をやる人だよ?

宇佐美は、
戦前は、栃木県内務部社会課長、同総務部庶務課長、内務大臣秘書官、鳥取県書記官・警察部長、、内務書記官・国土局総務課長、同河川課長等を務める。
戦後は1946年に東京都教育局長、1948年11月に初代の東京都教育長に就任し、1950年3月まで務めた。その後、東京都住宅協会専務理事。
1950年に田島道治初代宮内庁長官に乞われて宮内次長となる。

戦前は土木関係をやっていた人間が、戦後、価値観をガラリ180度変えられて、それほど時がたっていないうちに、、宮中の、一般人とはかけ離れた美意識やら矜持やらを持っている人たちを相手に、前例に頼ることもなしで、25年間もやってこれたということは、いかに宇佐美がうまく立ち回ってきたかという証拠みたいなものではないか(まぁ、官僚としては仕事が出来る人間だったんだろうと思う)。

宇佐美にうまく使われていたのでは?と疑ったことはないのだろうか?



 

これは、皇太子妃だった美智子さんに、皇太子の眼前で煙草に火をつけてもらったw「無頼記者」、板垣恭介氏の「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」の一ページである。
1933年生まれ、早稲田大学政経学部(のち除籍)を経て(この書き方に注意、卒業とは書いてない)、1957年共同通信社入社。
同い年で、このブログで、私に「ろくでなし」呼ばわりされている橋本明がいるが、こちらは、1956年学習院大学政経学部政治学科卒業後、共同通信社に入社している。

細かいことだが、板垣氏がこの「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」より10年前に出版した「無頼記者」の経歴欄には、「早稲田大学政経学部(のち除籍)」の「のち除籍」の6文字はない。
まぁ、年から行くと、留年してそのままか、授業料を払わないまま卒業してしまったか、学歴だけはちゃんと活用させてもらってますのおっさんのように思えるんだが、1999年に野村佐知代の「コロンビア大学留学」などで、学歴の記載をきちんとする方向になってきたから、大慌てで入れたかな?と言う気がする。

なぜ、こういう細かいことを言うかというと、「いいかげん」さに関係してくると思うからであるし、そういう時代の人だったとも思うし、それが許されない時代になっても、その「いいかげんさ」が「自慢」の人だとも言える、と思っているからである。



日経に「私の履歴書」というのがあるが、ここに書いてるおっさんには、この手の「自慢」を書く人が多い。



オンワード樫山の馬場彰氏は、勤務中マージャンをしてて、会社にばれ、譴責処分された。
ボーナスを大幅に減らされ、係長から主任に降格された。
そのことを「風紀が乱れるのを懸念したのだろう。見せしめの意味もあったと思う」と書いている。

オイオイ、である。
勤務中にマージャンはいけないだろ?
風紀とか見せしめとか少しずれてないか?

「以後、勤務時間中に二度とマージャンはしないと心に誓った」と再びドヤ顔で書く。

このコラムが出た時は、デフレ不景気真っ最中で、どこの会社もリストラして(リストラしすぎて人手不足になったりね)残った少ない人間を管理管理でしめつけて、それでも、営業成績はあがらない状態だった。
社会全体が右肩上がりで、なんだかんだとものが売れて行った自分たちの時代との違いを認識してんのかな?
「わしらの頃はなー」と自慢半分、社員のテンションあげることだけ考えている人?
なんて勘ぐってしまった。

どっちにしても、こんな今の時代にトクトクとしてよく書くなーって思った。
あの時代はああで、今の時代はこうで、というのではなく、今でも「いい」と思ってんだろうな。
なんせ、「抜群の営業成績」「当時の年商70億で、一回のセールで2,3億は売った」「貢献度絶大だった」「ノルマを半月で達成してしまった」だからな。

成績が良ければ、多少のことはいいんだ、いいんだ、イケイケドンドン。



「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」に戻る。

この本は2005年に書かれている。

「近頃は、雅子皇太子妃の適応障害とか、男系皇統(天皇家の血統)の危機から論じ始められた女帝問題、さらには憲法改定問題ともからんで、なにかと天皇家の周辺は風雲を呼んでいる。

と書かれていることからもわかるように、雅子さまが病まれ、皇太子殿下の人格否定発言があった後に、書かれているのである。

この本の結論は、美智子皇后はお気の毒、こんな非人間性の天皇制はもうやめたらどうだ、である。

それはそれでよろしいと思う、板垣さんの考えだ。

思うけれども、皇后バッシングをしたマスコミに対する宮内庁担当の先輩記者としての批判のページページにはさまれる「成績が良ければ多少のことは許される」ダブルスタンダードに彼は気づいているのかいないのか?

それを順番に見て行きたいと思う。

どうぞよろしくお付き合いくださいませ <(_ _)>
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某掲示板で知り合って、メールをやりとりするようになった仲良し?人組です。
考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
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