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がんばれ東宮職!
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前に書いたように、明仁皇太子のご学友で、皇室の周辺を書いた人が二人いる。
一人は故人だが、作家藤島泰輔。
もう一人は美智子妃賛美に生涯を捧げ、この頃は「男子をあげられ、皇室を守った」キコ妃に賛美の目をシフトしている、ご存知橋本明である。

橋本明によると、藤島は明仁親王に疎まれ、距離をおくことになったと言うのだが、私はあんまり信用していない。
この橋本というおっさんは、近衛忠輝氏が「橋本にだまされた」と言ったことがあるそうだし、藤島が鬼籍に入ってから出した本で(すぐ前に出ている「美智子さまの恋文」)ある事件がマスコミに流れたことを、藤島のせいであるかのような書き方をしたり、詳細は書かずあからさまに藤島を非難しているからである(文句があるならすぐに書けばいいのに)。
 
藤島はwikiには「明仁皇太子と距離をおいた」と書いてあるが、橋本は彼のことを「明仁皇太子に疎まれ」と書いている。
この照宮さまのことは藤島の「上流夫人」という本に出てくる。
三島が藤島のデビュー作に序文を寄せたくらいだから、橋本の文章よりかなり上等であると思う。
それより何より、橋本のように、自分の気に入ったものにだけ賛美するというのでなく、敗戦をさかいに、ガラリと変わってしまった日本と、それにひきずられるようにして、無理に変えられようとしているある社会、それに対する愛惜をどうしようもなく捨てられないでいる彼の心が、「照宮様」という「上等な人」を亡くしてしまった悲しみと共に、染みてくる一章である。
 
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「美智子さまの恋文」に頭の中を引っかき回されて、何か「懐かしい日本」を感じたくなったので、アップしました。
 
言わでもがなですが…「心が洗われます」
 
 

昭和16年12月8日、大元帥昭和天皇により開戦の大詔が発せられた。日本は米英に対し、宣戦布告したのである。
それから4年、日本は負けた。
「秩序は乱れ、世を挙げての疲労困窮のさ中」奇しくも同じ12月8日に、この物語は始まる。


元侍従次長 木下道雄著「宮中見聞録」より「皇居勤労奉仕発端の物語」

12月に入って間もない時であったが、皇居の坂下門の門外に60人ばかりの青年の一群が到着、どこかの駅から下車したまま、まっすぐに来たのであろう、手に手に荷物を携帯している。守門の皇宮警察官を通じて宮内省への申し入れは、
「私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋の前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈やお掃除のお手伝いのために上京してきました。東京には食糧や燃料が乏しいということも聞いていますので、私たちに必要な数日間分はちゃんと用意して持ってきていますから、東京の人たちに迷惑をかけるようなことはいたしません、どうかお手伝いをさせて下さい」
とのことであった。

(中略)

「われわれの郷里の出身に、長谷川峻という人がいる。緒方国務大臣の秘書官をしていた人だから調べてもらえば判る。この人が先日郷里に帰ってきたとき、皇居の前の広場がたいへん荒廃していることを嘆いて話してくれた。そこで、われわれは集って相談をした。それは、まことにあいすまぬことだ。みんなで東京へ行って、草刈や、お掃除のお手伝いをして上げようではないか。草刈は毎日野良でしているのだから、そんなことは何でもない。だが待てよ、今どき天子様のために何か働いたら、マッカーサーがわれわれを検挙するかも知れない。それで万一検挙されるようなことがあったときの用意として、第二隊は郷里に待機させて、第一隊60人だけ上京してきた。県庁の知事さんにも挨拶して上京すべきであったが、これも後で、何かの迷惑がかかっては悪いと思ってだまってこっそり郷里をはなれてきた。娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる」
と上京の動機や万一の覚悟について、縷縷説明するのであった。きいているうちに、私たちは粛然襟を正さざるを得なかった。

(中略)

代表者が御前に出てご挨拶を申し上げたのに対し、陛下は、遠いところから来てくれて、まことにありがとう。郷里の農作の具合は、どんなか、地下足袋は満足に手に入るか、肥料の配給はどうか、何が一番ふじゆうか、など、ご質問は次から次へと、なかなか尽きない。


(中略)

第一回目のとき、皇后さまが陛下にご同行なされなかったのには訳がある。当時、国内の各港には、海外で働いていた同胞の引揚船が続々と到着しつつあったが、殊に南方から帰ってくる人々は、防寒服がなく、みな薄着のままで日本の冬に上陸せねばならず、老幼の困難は特に甚だしいものがあった。皇后さまは、これを非常にご心配になり、何か暖かい衣をとお考えになるのだけれども、店は品切れだし、皇居内も、宮殿は消失、倉庫も大部分焼けて材料が乏しい。それでも探せば、多少の綿や布切れ類があるので、それをできるだけお集めになり、女官相手に、毛糸でスウェーター、また綿や布切れでチャンチャンコを、出来る限り沢山おつくりになるのでお忙しかったのである。

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>国民と共に考え、共に生きる伴侶としての人を求めていた。 
>これは旧華族上流以上には、求められない姿であった。 

と、明仁皇太子は言うのだが(ガーネット様もご指摘になっておられるが)、そんなに自分の母親は否定せざるを得ない人だったのか?

何か悲しくなってしまうよ。

  

藤島泰輔氏もまた橋本明と同じく明仁皇太子のご学友だった。
彼も皇室のことを多く書いているが、さすがに三島がデビュー作に序文を書いてくれただけあって、美智子さんしか見えない橋本と違い、学習院の中で、「ご学友たち」との付き合いを通し、皇室、それを取り巻く人たちの考え方、そしてそこから見えてくる「上流社会」を冷静に観察している。

この本は昭和40年初版である。
美智子妃入内の経緯と、その後にもかなり取材していろいろ書いてあるのだが、どこにも「香淳様が美智子さんをいじめた」話は出てこない。
これは前にアップした「ノンフィクション天皇明仁」(昭和61年初版)にも出てこない。

姑にいじめられたけれども、辛抱してよく舅姑に仕え、亭主の仕事も手伝い、また後継ぎの男の子を(姑より)早くあげて、立派にお育てになり・・・ソースとして「入江日記」がもれなくついて・・・。

入江日記は、平成2年、朝日新聞より刊行された。
それに先立ち、平成になってすぐ、朝日新聞に抜粋が連載されたそうである(うーん、なんとなくそんな覚えがあるようなないような)。

入江氏は、昭和天皇・香淳皇后のお側に仕えた人ではあるが、革新派だった。
しかし、その淡々とした文章は、「ま、嫁姑なんてそんなもんじゃね?」という雰囲気だし、香淳様は、親としてやることはちゃんとやってるし、結局は折れているようだし、ま、肩すかしをくったようなである。

明仁皇太子は、なぜか評判が悪かった。
それを払拭させるために、明仁美智子の苦労話をつくりだしたのではないか。

なぜかそんな気がしてきた。

私としては、最近の通学トラブルで身近に聞いたものは、この2つしかない。
しかし、この2つから思うことは、最初から最後まで本人と親と学校の問題だと言うことである。
それに関係しない人間は、口をつぐんで、待つ、ひたすら解決するまで待つ。
たとえ何とかしてやりたいと強く思う祖父母であったり、近所のおばちゃんであったりしてもだ。
なぜなら、通学は毎日行われ、事態も決して固定化しているわけではないからである。
それにかかわる人たちにも、違う日常があり、違う事情があるから、通学する毎日は、一日、一日、同じようで同じではない。

A君で言えば、うまく行きだしたかな?と思った矢先に、ダメになった。
そのきっかけは「A君だけマンツーマンで授業を受けて、いい点を取った、ずるーい」という他の父兄の声である。
A君ママは自分も子どもの勉強を見た、と言うが、やはりマンツーマンで授業をしてもらった効果も認めている。

困ったことに、学校というところは、やっぱりお勉強をするところで、成績が良いことは、居心地の良さにつながる、という側面もある。
だからと言って、「A君だけずるい」と言うお母さんに、「それじゃぁ、貴女のお子さんに、養護室で一人授業を受けさせたいか?」と聞けば、たいていは黙ってしまうだろう。
それならば、そう言って他の親を抑えられなかった校長先生たちの問題か、と言えば、「それが出来ればそれにこしたことはない」と言う事になる。
出来れば、ということは、出来ない事情もあるということである。 
他の親をだまらせるには、説明して納得してもらう他にも手はある。
A君が曲がりなりにも教室に入って、先生の授業がわかろうがわかるまいが、だまって机に向かってすわっててくれればいいわけである。

考えてみれば、先生は概ね忙しいから、A君の勉強を見てやるのに、最初はちょっと無理をして時間に都合がつけられたものが、期間が長くなればなるほど、先生の手当はつきにくくなる。
何とか教室で授業をうけられるようにしようと、勉強より教室へ入ることを優先したというのも、わからないではない。
ところが、A君は「先生が僕をだました」と、とった。
10才の男の子だ、大人の事情はわかるまい。
それに、やっぱりA君は先生に騙されて、教室へ連れて行かれたわけだから。

ここで、A君の通学トラブルは最初の事態とは変わってきている。
担任の先生の授業がよくわからないという苦痛から、頭痛を起こすようになったA君だが、先生に不信を持つようになり、体の状態としては吐き気が出てきたのである。

しかし、次の手はすぐにはうてない。
一時中断して様子見である。
学校も一つの組織だし、他の子どもや他のトラブルも抱え、また、文科省からの通達もあるだろうし、それへの報告だってあるだろう。

その間も、A君は養護室へ登校している。
元気はないという、そりゃァ当たり前である。
自分はどうなるのだろう、という不安は、当の本人であるし、経験の少ないまだ10才の子どもなのだ、どれほど大きいだろうと思う。

それでは、母親はどうだろう?
仕事と両立できないなら、やめるつもりはあったろうが、通学のために自分が何が出来るか、ということを考えてみると、とりあえずは養護室までは行ってくれるし、帰りは友達と帰ってくる。
今まで以上に、学校の勉強を見てやることくらいしかない、と言っている。

ここで今度は、家庭で横槍が入る。
近所に住んでいるA君ママの母親が、「まだ小学生なんだから、そんなに勉強しなくたっていいわよ」と折々A君のいるところで、曰うのだそうである。
自分の母親だから「無責任なこと言わないで!」と一喝できるから、それほどのことはないが、A君ママにとって小さなストレスになっていることも事実である。
時々「そうかも?」と思うことがあるのだそうだ。
疲れて、A君の勉強を見てやることがおっくうになることがある。
そういう時、母親の言葉が「あま~い誘惑」と変わるそうである。
「1番でなくちゃいけないのでしょうか、2番じゃダメなんでしょうか」(そんなに一生懸命やることもないかも、そこそこの点がとれればいいんだから)

無理はしないことよ、と私はつい言ったのだが、この賢いお母さんは言うのだ。
「でもねぇ、小栗(Oakley)さん、Aは授業がわからなくなって、脳が疲れちゃったんだよね。ここで勉強でつまづくことがあったら、Aのシナプスはまた暴走するかもしれない、そう思うとね、やっぱり勉強だけは見てやろうと思うのよ、それにこれしかしてやれることってないし」

1年以上たって、状況はいろいろ変わり、先生たちの対応もいろいろ変わった。
話を聞いている私も、失礼ながら、言われるまでA君の通学トラブルの原因を思い出せなかった。

結局、流動的な毎日の生活の中で、根本を押さえていられるのは、とにかくわが子が痛い思いをしないようにと願う親だけなのではないか?

だから、私は口をつぐむ。
お茶をゆっくりいれ直す。
それくらいしか私に出来ることはない。

敬宮様のご通学問題でも然り、自分の経験や自分の考えだけで、わかったようなもの言いをする人がいるが、果たして、問題の核心をついているかどうか?
というより、それは、敬宮様や皇太子ご夫妻にかこつけているだけの「自己満足」にすぎないと思う。

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B子ちゃんのことで、驚いたことは、「おもらし」の原因が「先生が大好きなこと」ということだ。
B子ママも小児科医からそう言われてびっくりしたという。
「いやぁ、先生が大好きだから、先生の言う事には忠実であろうとするんですよ。1年生の時からの持ち上がりでしょ?おしっこは放課の時間に行っておきましょう、と先生に言われて、B子ちゃんは頑張ったんでしょう。」
B子ちゃんは、おっとりとした子で、B子ママに言わせると「グズ」である。
推測だが、放課にトイレに行きそびれることが多々あって、そんなふうに筋肉が緊張する「クセ」(またしても!)がついてしまったのかと思う。

子どもの体の異変は、ネガティブなことだけで起きるとは限らない。
児童心理学教室の相談室で、B子ママは「今は(おもらしは)少しだけですけど、これがお教室で他の子に気づかれると、イジメられる、もうイジメられてるかもしれないです。どのように対処したらいいでしょうか?」と相談員の教授に食い下がり、「お母さん、まずおもらしを治しましょう、泌尿器科で検査を受けてください」とたしなめられ、ハッとなったそうだ。
早めにトイレに行け、濡れてしまったら早めにパンティをとりかえろ、とB子ちゃんにうるさく言ったし、この「お漏らし」の原因はなんだと悩んだが、お漏らし治療は頭になかった、と気がついたそうだ。

オオゴトになる前に、治療が出来て、やれやれこれで一件落着、と思ったら、先生の「ついで」の発言で、事態がひっくり返ってしまった。

子どもの心と体はなんて繊細なのだろう、と心臓に毛がはえているおばちゃんは、あらためてびっくりする。
だから先回りして「心配」しても、それが必ずしも当たっているとは限らない。
子ども自身も、はっきりとは意識していないことだから。

こうしてみると、トラブルなくやってきたと思っても、大人が知らないだけで、子どもに大きな負担をかけていたのかもしれない。

大人は「私はうまくやっております」などとは、口が裂けても言えないことなのだ。


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自己紹介:
某掲示板で知り合って、メールをやりとりするようになった仲良し?人組です。
考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
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