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がんばれ東宮職!
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文藝春秋2月号に安倍ちゃんの記事と一緒に、雅子妃殿下の親しい友人が友納氏に語ったという記事が出ていたが、それによると、雅子妃殿下は華々しいご経歴にも関わらず、目立つことが嫌いなご性格だそうだ。
そっと差し入れをされたり、私的に福祉施設をご訪問され、関係者とずっと手紙のやりとりを続けておられたり、週刊誌の派手な記事にはならないけれども、漏れ聞こえてくる評判と拝見した妃殿下の印象から、気が強いだのわがままだのと言うのは、悪意をもって語られるほとんど妄想に近いものだということは、よくわかる。

それに引き替え、紀子妃はどうだろう。
メディアに「渦中の女」とスキャンダル扱いされても平気な大学生だったのに驚いたが、とにかくテレビに出たりインタビューされるのが嬉しくて嬉しくて仕方がない、という風なのは今に至るも全然変わっていない。
東宮バッシングがされればされるほど、この人はニヤニヤとメディアに出たがっていた。
湯浅長官ご指名の妊娠要請に「こふのとりの歌」で即答した頃から、特に国会審議中、紀子妃ご懐妊!のテロップがNHKで流された後、複雑な国民感情と反比例するが如く、この人の大きなお腹をみせつけるようなご公務姿は、前にも増して存在感を増していた。

上杉さんは皇室報道の責任を宮内庁に求めるけれども、宮内庁とは無関係に紀子妃は報道機関に直接作用する勢力をお持ちだったように思う。

東宮職は敬宮殿下がご通学問題で悩まれている以前から、報道機関にお願いをしてきた。
皇太子殿下も折に触れてメディアの行き過ぎ報道について言及されたことがある。
ところが、東宮家、特に雅子妃殿下や敬宮殿下に関しては、守られたことがない。
宮内庁が自粛メモを出そうが出すまいが、メディア側の事情が一緒なら、秋篠宮家だって撮られまくりのはずなのだ。
まして秋篠宮家の妃殿下はメディア露出したくてしたくて仕方のない紀子妃やで?

それがなぜか秋篠宮家の場合は、メモ一枚で統制がとれて、一切メディアが報道しない、ちゃんと協定を守っているというのはどういうわけだ?

上杉氏はその理由を、小泉首相が皇統維持のために女性天皇を認めるよう皇室典範改正を目指したが、反発が大きく、その騒動の最中に生まれてきた子だし、現時点では将来天皇になる可能性が極めて高いから、宮内庁が神経質になっている、としているが、なんか違うと思う。
あの時の記憶と合致しないのだ。

それに将来の天皇なら、メディアの取材要請は、むしろ公的記録も兼ねるとして、必要性を盾にして、もっと宮内庁に対し、堂々としたものになるはずなのだ。

それさえも無視するがごとくしょーらいのてんのーが運動会でどんなお可愛らしい姿をお見せになったか、宮内庁はそのお写真さえ提供せず、ただ言葉だけで「親王様はお健やかにお元気にお育ちで、大変やんちゃである」と伝えさせるばかり。

そのかわり、毎日学習院の門前に張り付いて、敬宮殿下の通学状況を表にしたり、三脚を立てて盗み撮りしたり、その上、社会問題にもなっている「イジメ」問題の原因の方は、忘れたふりをしている。

何かがおかしい。何かが狂っている。
  

入江日記ばかりでは何なので、新嘗祭とはどういうものか、卜部亮吾侍従日記から。
軽妙洒脱な入江侍従に比べ、文章は非常に真面目な感じがする。

昭和46年の新嘗祭の記述を見ると、入江侍従が昭和天皇の高齢を案じて簡素化したというが、やっぱり天皇はお大変である。
侍従は当番制なのか、夜食を食べて、侍医と囲碁などやって待機している。

それから12年後の昭和58年の新嘗祭、昭和天皇82歳、明仁皇太子50歳

7:35 御座着御 お椅子入れ 隔殿に候す、10分くらいで東宮拝礼合図、山口正次東宮侍従長進むも東宮その気配なく10分近く空費で短縮案無意味(←なんか卜部の怒りを感じるw) お告文省略のこと連絡抜け
8:55 入御 お立ちになるのが大変 前へお倒れそうで抱きかかえて、吹上にお笏など納めて庁舎へ、直会


毎年やっているのに、50歳の明仁皇太子、何をぼやっとしているんだかw
お告文省略の連絡が抜けていたせいなのだろうか、それとも、明仁皇太子がぼやっとしていたのとはまた別なんだろうか?
たぶん後者だね、東宮拝礼合図がちゃんとあったんだから。
それにしても東宮侍従が先に進んでしまって、東宮さんが10分も知らん顔してつったっていた図を想像すると笑ってしまう。
誰も促す人はいなかったのかな、10分は長いぞーw

昭和天皇が倒れそうな状態でいらしたから、よけいに東宮に腹が立ったんだろう。

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おまけは、18歳のアーヤの記述。

12/28~1/1まで葉山へ行くから、歳末の挨拶は12/27 11:30に、新年は1/2 9:50でよろしく、と。
年末年始は天皇家というのは、とても忙しいという触れ込みだったが、案外、自由だったんだね。






  

謝礼はあると思いますよ。
普通に考えてもそうですし、ちょっと前、テレビに出ているコメンテイター・ジャーナリストたちにお金を渡して、記事を書いてもらった政党の話が出ていました。

古い本ですが、藤島泰輔氏の「孤独の人」にも出てきます。
明仁皇太子のご学友が、明仁さんが気に入った女性とをとりもち、その写真が週刊誌に出たことから、誰が週刊誌に売ったのか、疑心暗鬼の中で、学友(おそらく藤島本人)の一人を勝手に犯人にしていく。

「第一、裏にはかならず金の問題があるんだ。あの写真一枚にしたって何万円て出すだろう」

1956年当時で、皇太子が女の子と一緒に写っている写真一枚で、◯万円。
聖徳太子と夢殿の図柄で、初の一万円券として発行されたのが1958年ですから、週刊誌記者と自らつるむのは、皇室入りを果たすための担保だけではなく、実質的な理由もあったかもしれないと、私は考えています。


蘇芳 様 wrote

こちらでも例のHとOの話が出ているようなので, 私も呟かせていただきましょう. 
もしかしたらこの親ども, 記者に近付いて幾ばくかの謝礼を貰っているかもしれませんね. 以前, この親が他の保護者に話していたのを聞いたことがあります. 
「懇親会の食事会費が辛いわ. 」と______. 
その食事会は毎日あるものではなく年に1度か2度のもの. それも何十万円ではなく数千円の会費です. 今こういう経済状況ですので厳しいご家庭もあろうかと思いますが, それでも私立へ通わせているのです. 数千円で辛いとなればかなり厳しいのではと思われます. そのような状況にいる時に, 話を聞きたくて近付いてくる記者がいれば…… 

どちらの親が, とは言いませんし, あくまでこれは私の呟きです. 
 

口汚くってすみません。  

画像は、先日、ルビー様が送って下さいましたものです。
有難うございます。

1970年代の後半、今よりも長閑な世の中で、
浩宮さまが参加された高等科の行事においての警備の様子。
武者小路実昭さんの「メイド・イン・学習院」から。


もうお読みになっておられる方も多いと思いますが、皇室の警備のものものしさがどれほどのものだったか、そして、ゴロツキ記者どもが「叩き」の材料にしている現在の警備に比較すると、皇太子殿下や雅子妃殿下がご自分たちの警備について、気を使って、むしろ遠慮しておられるのが、よくお分かりでしょう。
鯰殿下は反対にこの兄貴の警備の物々しさが、うらやましくって羨ましくってうらやましくって仕方がなかったそうですがw

私の住む地方に今上陛下がいらした時、◯年前ですが、高速道路を降りたらまず検問、そこから中央分離帯に5メートルごとに警官が立ってましたよ。
よくまぁ、これだけ警官がこの地方にいたもんだ、と感心しましたが、特別ぶっそうな時とか土地柄というわけではないんですよ。
「決まっている」んです。
時間、人数、配備。
足りなければ、近隣から応援を頼みます、常識ですよ?
ゴロツキ記者は自由人を気取っているから、こういう決まりごとで動く組織の常識を知ろうともしない。
いや、薄々わかっているだろうけれども、とにかく手当たり次第に「因縁をつけた」ということか。

つまり、宮内記者たちは「アウトロー」ばかり、ということになる。



 

さて、板垣氏の「美智子さんage本」の中の、香淳様について入江日記を出して書いている部分であるが、最後の「ワタシの時は4頭ダテだったのに、美智子は6頭立てとはけしからん」の部分であるが、

板垣
昭和34年3月12日
皇后さまが今度の御慶事の馬車6頭、ご大礼の時のご自身のは4頭だった。憤慨だとおっしゃったとの事。何事だといって憤慨する。(中略)御前(天皇陛下の前)に出たら美智子さんの事について非常にご期待になっていることをいろいろ仰せになる。

同3月14日
ご婚儀の時の馬の数は6頭でいいと仰せになった由。よかった。



入江日記
昭和34年3月12日
皇后さまが今度の御慶事の馬車6頭、ご大礼の時のご自身のは4頭だった。憤慨だとおっしゃったとの事。何事だといって憤慨する。稲田さんは大さはぎしてゐる。山田(後に明仁皇太子に諫言wした人)と二人で3時過ぎにお文庫へ生き相撲を楽しむ。お召だったといふので相撲がすんでから御前に出たら美智子さんの事について非常にご期待になっていることをいろいろ仰せになる。

同3月13日
十時半に出て三番町へ行く。今日から牧野さん(東宮女官長に決まった)も加はつて聞いてをられる。開戦の事、終戦の事、御退位論のことなど。正午前に帰り、両陛下お文庫へお帰りのお供をする。

同3月14日
ご婚儀の時の馬の数は6頭でいいと仰せになった由、よかった、


昭和天皇が美智子さんに肩入れしているのだから、香淳様が何と言おうとどうでもいいと言わんばかりの入江の記述であるし、板垣氏もだいたい同じようなニュアンスで載せている。
入江日記の3月13日の「三番町」の記述は「お妃教育」のことであろう。牧野女官長も同席して、開戦、終戦、退位論(おそらく天皇の戦争責任論)を聞いたわけである。
12年前(干支が一回りしたわけであるが)、美智子さんが小学生だった頃、皇室はこうだったという講義があったわけであるが、男視点のお妃教育だけでは、皇后の気持ちまでは読み取れない。

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「戦後最大のショー」と言われた明仁皇太子と美智子さんのご成婚。
その12年前は香淳様は、このスリッパのような生活をしておられたのだった。
鶏を飼い、栗の実を拾い、ツギをあてて、皇室やそこに勤める人たちみんなを気遣われた。

昭和22年春、財産税の納税番付は

1位 (昭和)天皇 37億4300万円
2位 住友吉左衛門 1億7900万円
3位 三井高公 9600万円
4位 岩崎久弥 4900万円

(米145円/10kg、山手線初乗り50銭)


昭和21年5月「コメ寄こせデモ」が坂下門から乱入したが、当時の天皇陛下のご飯は、七分づき米七に麦三の割合で混ぜ、代用食も食べられた。宗秩寮の松平総裁がご相伴に預かった時も、献立はそばがきに里芋、大根の煮付けだったという。
三笠宮様は、毎日満員の横須賀線に乗って通勤された。

その三笠宮様は戦後の社会に付いてこう語っている。
「・・・今日の資本主義社会では資本家が貴族なのですから、美智子さんを平民扱いにするのもおかしいし、華子さんだってもう華族ではない・・・」 

全てをとりあげておいて、国は、本来なら「天皇家」の嫁取り(内々の話)を、「この女を嫁にするなら派手な式をあげてやる」というのである。
 
ここに、あまりにも早く過ぎていく新しい日本社会から、少しずつ取り残されていく貴人がいる。
 
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某掲示板で知り合って、メールをやりとりするようになった仲良し?人組です。
考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
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