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がんばれ東宮職!
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板垣
同年12月22日
(右翼の大物三浦義一に会ったら)松平信子、宮崎白蓮が中心となって今度のご婚儀反対を叫び愛国団体を動かしたりしたとの由。


入江日記
同年12月22日
三浦さんに会ふ。歌集の献上。なほ松平信子、宮崎白蓮が中心となって今度のご婚儀反対を叫び愛国団体を動かしたりした由。併し大体取静めたとのこと。

板垣がこの本を上梓したのは2006年である。
その年以降、普通の人が板垣の記述を読んで、どのように解釈するであろうか?
おそらく香淳皇后派は「愛国団体」=「右翼系」を使って、美智子さん入内を妨害しようとした、そういう動きを大物右翼がそっと教えてくれた、というように解釈するだろう。
三浦義一は「室町将軍」と呼ばれた大物右翼である。

wikiによると、
東条英機と親交があり、自身も戦犯容疑で収監された(病気で釈放)。
1948年、昭電疑獄(昭和電工・・・いろいろ問題を起こす会社である。後に美智子妃の妹君が御曹司に嫁いで、華麗な正田閨閥の一端を担う)で、GHQGSのケーディス大佐をスキャンダルで追い落とすのに貢献。米軍との強力なコネを持つようになる。

入江日記では、入江は三浦に歌集を献上するような仲である。その右翼の大物が「松平信子たちが愛国団体を動かしたが、取り静めたよ」と言っている。
右翼を使ったのは、なんと美智子派ということになる。
これって、美智子派にとって、非常にマズイ記述ではなかろうか。
それで、板垣は全部載せなかったのか?

愛国団体というのは、おそらく「愛国婦人会」のことであろう。
よく戦争中の映画にこんな団体名を書いたたすきをかけたおばちゃんが、「立派に死んでこい」とばかりに出征兵士を送る場面があったりするが、もともとは、明治初期、鹿鳴館時代に上流階級の婦人らが慈善の団体活動をしていたのが素地にある。

http://www.taiyo-g.com/shousai21n.html

愛国婦人会は、近代における日本で最初の全国的規模の婦人団体であった。日本国内にとどまらず、朝鮮・台湾・樺太・満州・南洋諸島など日本の植民地のみならず、サンフランシスコ・ハワイ・バンクーバーなどにも地方本部や支部を広げていた。また愛国婦人会は、20世紀の初年1901(明治34)年に創設され40年以上にわたって存在した婦人団体であり、最盛期には700万人以上の会員を持つ、世界的に見ても大きな婦人団体であった。
(中略)
愛国婦人会は日本初の全国的婦人軍事援護団体であるとされるが、興味深いことに、愛国婦人会が会の目的を「軍事援護」とするのは、1938(昭和13)年5月6日の愛国婦人会定款の改正後、すなわち解散する前の4年間に過ぎない。愛国婦人会の規則は、発会当時1901(明治34)年2月24日に愛国婦人会規則として定められた。1904(明治37)年10月に愛国婦人会定款が定められ、その後7回改正されているが、目的は大きくは3回変わっている。まず、1901(明治34)年の規則では、「本会は戦死及び準戦死者の遺族を救護する事、及び重大なる負傷者にして、廃人に属する者を救護するを以て目的とす」となっている。1904(明治37)年の定款では、「本会は戦死並びに準戦死者の遺族及び廃兵を救護するを目的とす」となる。愛国婦人会の目的が初めて大きく変えられたのは、1917(大正6)年6月5日の定款の改正で、「本会は戦死並びに準戦死者の遺族及び廃兵を救護するを目的とす。前項主たる目的の外地方の状況に依り必要なる他の救済事業を為す事を得」となる。これによって愛国婦人会の活動目的に、一般の救済が加わる。

夫が戦死して未亡人となった女性などに、裁縫などの技術を教えたり、就職をあっせんしたり、女性が一人で生きていけるよう手助けをしたりしている。
沼津御用邸を見学したことがあるが、戦争未亡人を皇室が積極的に雇用したり、皇室関係の仕事を創設して、生活費を稼げるようにしてやったりしている会があって、まだほそぼそと活動していた。

松平信子が顔が利くのは、まぁ、その程度であろうと思う。
本当に右翼の愛国団体を頼んだのなら、それはそれで大問題であるが、同じ入江日記に以下のような記述がある。

入江日記
同年12月8日
ご婚儀の委員になる。6時過、築地の錦水へ行く。小泉さんの招宴。その夫妻、正田夫人、保科、高木、河合、戸田、黒木、松平信子。酒をおいしくのみご馳走もたくさん食べる。


皇室会議は全員一致で可決、小泉信三は、ねぎらいとこれからもよろしく頼むと、席を設けたようである。
そのメンバーに松平信子はちゃーんと入っていて、正田夫人と酒盛り?をしたわけである。

まぁ、書かれた印象ほど大きな抵抗ではなかっただろうと思う。

しかし、胡散臭いのが美智子妃推進派にくっついていた、というのは、「事実」だよね。
  

明日また女性自身が雅子様愛子様叩き記事を載せているらしいので、この間からの書きかけを大急ぎで書いてしまうことにする。
 
皇室本は、多く皇室ジャーナリストによって書かれているけれども、前身は皇室報道に関わった人というのが多い。
宮内庁記者を長くしていると何らかのコネクションが出来ていくのだろう。
「皇居の落書き」のブログ主様が、以前「富田メモ」のところで、貴重な資料(侍従日記など)が、たった一人の週刊誌記者(岩井のこと)の手元に集められてしまったことの危険を嘆いておられたけれども、この頃何となくその理由がわかったような気がする。
(これは私見であるが)何が危険と言って、こういう記者たちは、まず自分の考えなり、主張に沿って、貴重な資料をかなり得て勝手に切り貼りして、深く研究するより前に、スクープを出したり、おもしろおかしく筋立てして、記事なり本なりを出してしまうことである。
渡辺みどりも、橋本明も、bakaiwaiもそうだが、いわゆる研究するということを学問として学んでいないので、非常に読み方が浅い。
取り違えも多いし、なにより先に功をはやって、資料自体の価値までなくすし、皇室記事にかぎっては、悪役に仕立て上げた人に対する悪意をかくそうともしない。
ジャーナリストの性だなどと言ってくれるなである。
だから、時を経て、私のようなただのおばさんに「何かヘン」と思われるのだ。
 
「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」の著者板垣氏も、入江日記を使って、みごとに自分の主張を印象づけた。
 
板垣氏はこう書いている(詳細は、「屋根裏部屋の箱の中から2」にあげた本文を読んでいただきたい」)
 
万事おっとりとした姫様育ちで、いささか気働きにかける香淳皇后に、元気いっぱい野育ち的な貞明皇后は不満だったようだ。昭和天皇の着るものなんかの世話にも香淳皇后は無頓着のところがあって、・・・・(中略)・・・上品な笑顔だった。(美智子妃いじめ)が信じられなくなるほど、感じのいい人柄だった。僕は同僚記者に「(略)・・・・あれに、だまされるんだな・・」と言った。
「貞明と香淳」「香淳と美智子皇后」いずれも不仲だが、本質的な違いがある。それは、香淳皇后は、美智子皇后を(平民だから)という一点で最初から無視していたということだ。
香淳皇后に恨みも嫌悪もない。
彼女の生まれと育ちで培われた、たとえば「平民とはけしからん!と単純に人間を決め付ける思い上がりに異を唱えたいのだ。
 
以前、ルビー様が「男が選んだ妃」という言い方をしておられたのを覚えているのだが、板垣氏は自分では公平さを装いながら、もう先に結論を出しているのである。
「平民とはけしからん!」の一言を「単純に人間を決め付ける思い上がり」として、もうジャッジをしているのである。
感じのいい人柄と言っておきながら、それは「騙し」であると言う。
 
【「貞明と香淳」「香淳と美智子皇后」いずれも不仲だが、本質的な違いがある。】

これは「本質的な違い」が違っている。
 
貞明皇后と香淳皇后、香淳皇后と美智子皇后、この組み合わせの違いの間には、価値観がガラリと変わった時代の転換があった。
香淳様がその転換期の前にお生まれになり、皇后におなりになっていたのは、香淳様の責任ではないのだ。
 
【上品な笑顔だった。(美智子妃いじめ)が信じられなくなるほど、感じのいい人柄だった】
 
むしろ、ご本人に会ったその印象をなぜ信じないか、それが不思議である。
 
だから、もう一度、板垣氏が「香淳皇后の美智子妃イジメの証拠」として出している「入江日記」と「実際の入江日記」とを比べてみると、意図的なのかどうなのか、巧妙に切り取りがしてあることがわかる。
 
板垣
昭和33年11月15日
(昨日、宇佐美長官が両陛下に皇太子妃正式決定の報告をしたら)皇后さまが非常にご機嫌がわるかったという。
 
入江日記
昭和33年11月14日
十時すぎに会議。といっても東宮妃についての次長よりの報告。つまらないことばかりで長官や次長のくだらなさに驚く。大事なことは何も考へてゐない。

昭和33年11月15日
長官が永積さんと予とを呼んでゐるといふので車で帰って一緒に行く。昨日両陛下に申し上げたら皇后さまがにご機嫌がわるかったといふ。明日菊栄親睦会もあるからといふので稲田さんに申し上げてもらふことにする。
 
板垣氏の注釈のつもりだろうが( )内の記述があっているかどうかは、入江日記からでは確かめられない。
その前日の日記の記載から、入江侍従が「くだらなさに驚く」ような報告だったことが読み取れるので、正式決定の報告だけで皇后さまのご機嫌が悪かったとは思えないからである。


板垣
同年12月9日
美智子さんの教育に呉竹寮を使うことを昨日お上はいいとおっしゃったのに皇后さまはいけないとおっしゃった由。まだモヤモヤがあるらしい。


入江日記
同年12月9日
美智子さんの教育に呉竹寮を使うことを昨日お上はいいとおっしゃったのに皇后さまはいけないとおっしゃった由。まだモヤモヤがあるらしい。けれども根本的に呉竹寮で何を願はうとするのだらうか。それが第一疑問である。

入江は皇后さまに心理的にモヤモヤとしたものがあることは認めているが、一方、宮内庁側の呉竹寮にこだわる意味を訝しく思っている。

http://sasuke.s206.xrea.com/uda_wiki/index.php?%B8%E2%C3%DD%CE%C0

呉竹寮とは、昭和6年、昭和天皇・香淳皇后の初めてのお子様、照宮成子内親王のご養育所として建てられたもので、内親王方は全員ここでお暮らしになった。
親子同居を望まれた昭和天皇・香淳皇后にとっては、別居は悲しいことだっただろうが、当時のしきたりでどうしようもなく、しかし、香淳さまはしばしば隠れるようにしてご様子を見にいらしたそうだし、内親王方は、親が恋しい日もあったようだが、そこはお若い姉妹のこと、楽しいこともあったようである。
その悲喜こもごもの思い出のある場所を、わざわざお妃教育のために美智子さんに使わせることにこだわる宮内庁側に、戦後12年、徹底的に宮中の「権威」を骨抜きにしたいと言う、意地の悪さを感じるのである。
結局、美智子さんのお妃教育は、宮内庁の会議室の一室で行われたと記憶しているのだが、それで何の不都合もなかったのだから、この呉竹寮の一件は、入江が「モヤモヤがあるらしい。けれども・・・」と続けている文章を、「けれども」以下をすっぱりと削ってしまっていることからも、香淳様を「意地悪ババア」に仕立てるために出されていると考えられる。

庶民でも、母親にとって娘とは、同性ということもあるのだろう、同じわが子でも男の子とはまた違った感情がある。
他に部屋がないわけでもなし、香淳様には思い出の場所として、特別な思い入れもあったのだろうと、私には容易に推察されるのだが、宮内庁記者は、わざわざ嫁姑をもめさせるようなことを書くのである。
 
 
 

私自身も入江日記頼みのところがあるから、板垣記者がそれを多用しているからと言って、非難するではないが、この問題の「3 美智子皇后の素顔と良子皇后の不機嫌」の項目には、最初から「(平民の)美智子様素晴らしい、(皇族の)良子皇后は、戦後10年、日本は生まれ変わったのに、いまだに身分差でもって、新生日本の象徴である美智子妃をいじめる」の意識があって、その裏付けに「入江日記」を出しているにすぎない、と思う。
というのは、入江が侍従の中でも若く、特に東宮に対して「開かれた皇室」「新しい皇室」を期待しているからである。
入江氏は、文章がうまいので、新聞記者が何かと言うと、文章を書いてもらおうと寄ってきていた人物で、そのことで「人には皇室のことをあれこれ書くな、と言っておきながら、自分では天皇のご様子などを新聞に発表している」と妬まれているのである。

まず板垣氏は、入江の立場をよく見るべきだし、それが書かれた時期、良子様やそれを取り巻く旧皇族・華族がどういう状況だったか、どう考えていたのかよくよく考えるべきである。
入江日記をずっと読み進んでいくと、その後、まるきり美智子妃マンセーばかりでもない記述もあるのである。

まぁ、香淳様でなくとも、美智子さん入内にいい気はしなかっただろう。
当時、一番威張っていたのは「資本家」であり、上流社会というと「金にものを言わせる連中」で、それは戦前の日本がお手本にしたヨーロッパの上流社会ではなかった。
アメリカの上流社会はとにかくお金で階級が出来ていたから、GHQに牛耳られた占領期の日本が、旧上流階級に壊滅的な打撃を与えたこと、財閥解体、公職追放などで、華族だけでなく戦前の資本家も、青息吐息だった。
世間に幅をきかせていたのは、成金と言われる人たち、あるいは戦後復興の波に乗って、商売が調子よく行きだした新興実業家だった。

西洋小麦の製粉業者としては、日清製粉は日本製粉に継いで2番手だったが、日本製粉は親会社双日の財閥解体のあおりを受け、大規模工場の稼働が許可されなかった。
日清製粉は2番手だったからこそ、規制をまぬがれて日本製粉にさきがけること1年早く、大規模工場を稼動させることができて、一躍製粉業界トップに躍り出る。
もう、イケイケドンドンである。
日本人に小麦を食わせるために、全国にキッチンカーを走らせて、粉食奨励したのは、アメリカの農務省である。
おかげで葦原の瑞穂の国たる日本は、減反政策、コメの自由化と進んだが、小麦はいまだに政府管轄だ。
(農業の神様の祭祀主のところへ小麦娘が嫁入るってのも、なんという皮肉w)

美智子さんは軽井沢のローンテニスクラブに入っていたが、そこに集まった人たちはどんな人達だったのだろう?(スノッブみたいな取り巻きもいたことだろうが)
たぶん、名門ゴルフクラブみたいなのと同じだろうと思う(庶民なので詳しくはない、ここは推測だけど)。
そして娘を名門テニスクラブで遊ばせておける人はそれほど多くはなかったと思う。
まして、皇太子がテニスをしにくるような超名門クラブなのだから。
反対に、戦前、避暑のついでに優雅にテニスをして遊んでいた旧上流階級は、テニスどころではなくなってしまっている。
皇族はともかく、華族あたりの人は、どんどんと自分たちの領域へ入ってくる美智子さんのような人種にいい感情は抱かないのではないか。

我が世の春の実業家令嬢が、旧上流階級の人たちの最後の砦、皇太子妃になると言うのである。
おもしろいわけがない。

もっとも、三笠宮様のように「もう世の中が変わっているのだから」と諦めている人も、おいでなので、あんまり一律には言えないが、それでも諸手を上げてというわけじゃないことは明らかである。
(三笠宮様は正確にはこうおっしゃっている。「今日の資本主義社会では資本家が貴族なのですから、美智子さんを平民扱いするのもおかしい・・・」)

入江侍従は三笠宮妃百合子様と親戚である。

良子皇后がけしからんと思われても、それほど大抵抗するわけでもない。
良子皇后がもしも「けしからん」と仰っしゃるかもしれないので、知らせないでおこうとする侍従たちもいたようで、入江が皇后にお聞きすると何も知らなかったということもあったようで、それも日記に書いてある。

入江が魔女と呼んで、しゃにむに皇后のそばから放逐した今城女官も、もとは貞明皇后に仕えていた人である。
そういう人も多くいて、しかし、皆あの敗戦から占領期の皇室のピンチを乗り切ってきたのである。
皇后が「讒言するもの有り、気の毒なことでした」と言うのは当たり前だし、世の中が変わったのだからの一言で片付けられないことは多くある。

むしろ、そういうところへ目を向けないで、政府に担ぎ上げられた当時の皇太子側が、宮廷内で「力技」を使ったことはなかったか?

「力技」とは、もちろんマスコミである。

それをもう一度検証したい。
 

引っ張り出して来ました。
やっぱり記憶力はまだ確かですなw
元宮内庁記者板垣恭介著「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」と言う本にありました。

まぁ、磊落とか無頼?とか、ちょっと悪ぶってエラソーにするというのが、もてはやされた時代だったんですかね。

最初、ちょっと読んだ時には、皇太子妃が煙草の火なんかつけるなんて、と思っただけですが、今、読んでみると、美智子さんと言う人がよくわかります。
この文章を読むと、皇太子の人格否定発言の時「宮内庁は謗られるところではない」と宮内庁の肩を持った美智子さんは、もともとこういう性格なのかな、と思いますね。
つまり、家族を庇うより先に、他人にいい顔をする、というか。
(これは、悪いことをした家族を庇わないで警察に引き渡した、ってのとは違いますよ。息子夫婦の苦悩といういわゆる内輪の問題であるにも関わらず、その苦悩に寄り添ってやらずに、いいカッコした、ということです)

まず、スペイン語の挨拶で美智子さんの亭主が通訳に褒められた、侍従がお追従を言おうが、この板垣さんという記者は、だまって心の中で侍従を罵倒していればいいことであるのに、、それをなんでタメ口叩いて、ぶち壊すかね?
そんなに当時の記者はえらかったのか?
板垣さんは侍従のお追従が気に入らなかったと言うが、内心「皇太子の語学なんて付け焼刃なんだから」と思ってるんだろうね。
でも普通、口には出さないよ。
侍従はお追従を言うに決まってるじゃん(仕える者の仕事の一つだw)。
それに、(当時の)皇太子殿下が、ご公務をなさったわけでしょう。
どこの国の人でも、ご挨拶に相手の国の言葉でちょっとしゃべってみせて、ご愛嬌というか、そんなことはわかりきってる、ただ、そこで表したいのは「親愛の情」でしょう。
それをこの記者は「語学なんてものは」と上から目線で一般論を語って見せ(自分の語学の程はどうだったんだろうね)美智子さんは、侍従と亭主を不機嫌にしたまま、この一人の記者に同調し、煙草の火までつけてやるのである。

「本当にそうですネ、そこが語学の怖いところというか、面白いというか」

ここに美智子さんの「アテクシ、語学にはいささか自信がありましてよ、勉強も(明仁皇太子殿下より)うんといたしておりますし、スペイン語だけではなくいろいろ極めておりますの」という自慢がちょっと入っている(ような気がする)。

婚約記者会見の時は「ご誠実でご立派で」って言ってたのにね。
どうして亭主の肩持ってやんないのかね?

冷たいなぁ。

これが香淳様だったら「お上よろしゅうございましたね」と「昭和天皇」に言うと思うよ。
そして昭和天皇はご自分に対する褒め言葉と実力については、ちゃんとわきまえておられる(ご専門の研究のことでもとても謙虚)方だから「板垣、何にも出ないよ」くらいは言われるかもしれないw


  

「秩父宮と勢津子妃」秩父宮殿下御成婚記念会編

学業は特に幾何がお得意だったそうだけれど、何でもよくお出来になった。
お小さいうちからいろんな習い事をされ、また健脚でスポーツはテニスもお強い。
学習院ではフランス語だけ習っておられたので英語はだめだったけれども、ワシントンへ行くというので家庭教師を雇入れられ、熱心に勉強されて、たちまち上達された。

スーパーウーマンですね。

フレンドスクール学監ウィルソン女史
「勢津子姫は非常に勉強好きで、この学期は毎日6,7時間づつ学校にいます。そして英文学、歴史、幾何学、フランス語を学んでいます。数学が特に得意で、文学や歴史もよく出来ます。英文学はシェイクスピアの「マクベス」やミルトンの「失楽園」や、ばーく、カーライル等の論文を教科書としています。最近の試験成績は幾何が99点、歴史が86点、英文学が83点、フランス語が86点です。元来フレンドスクールでは採点が極めて厳重ですから、これだけの成績は実に抜群です」

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某掲示板で知り合って、メールをやりとりするようになった仲良し?人組です。
考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
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