Admin / Write / Res
がんばれ東宮職!
[422]  [421]  [420]  [419]  [418]  [417]  [416]  [415]  [414]  [413]  [412
  

美智子教信者のみどり先生は、実は「皇太后良子さま」という本も書いている。
どんなふうに褒めているのかと思って買ったのだが、美智子様にからむ話になると、どうやっても美智子賛美はやめられないらしい。

その後書きに自分で書いているのだが

「前略 渡辺みどり先生、あなたは間違っておられる。長年國母陛下として昭和の陛下に仕え、大任を果たされた良子皇太后を『意地悪姑』扱いするのは、おやめください。(後略)」
便箋三枚に書かれた、好意あるおさとしのお手紙であった。事実は一つ、解釈は多様なのである。


案外気にするんだな、とおかしかったが、「おさとしの手紙から事実は一つ」まで、たった一行だが、変な文である。
どうやっても「意地悪姑」を払拭できなかったか?

「良子様意地悪」で証拠のように出されているのが「入江相政日記」である。
たしかに「平民からとはけしからん」と良子皇后が秩父宮妃や高松宮妃と一緒になって訴えた、という記述があって、この「皇太后良子さま」にもちょくちょく出てくるのだが、本当に良子様は意地悪なお姑だったのか?気になって、みどり帽子が引用している入江日記の箇所を実物の方も読んでみた。

まず、渡辺みどりの方である。(P153-4)

私は美智子様の弟正田修氏、(現日清製粉社長)にインタビューしたことがある。「当時、私は高校生で理解できないこともありましたが、逆に年月がたつにつれ、あの時の両親は本当に大変だったろうなあという感じがいたします」と答えられた。これは弟さんの正直な実感だったと思う。
引き続き入江日記を引用する。
「昭和35年2月23日(火)快晴
4時15分親王ご誕生、御母子ともおさわりないとの事。これでよかった。本当に安心した」
「昭和36年8月11日
最近の奥のおかしな空気、東宮さまと妃殿下(現天皇、皇后)に対すること・・・・・・まったく弱ることばかり。下らなさに腹が立つが、そんな事話し合う」
「昭和36年8月16日(水)快晴
那須で東宮同妃から両陛下にいろいろのこの間からのことを十時すぎまで率直にお申し上げになったとのこと。お上はよく分かったと仰せになったが皇后さまは終始一言もお発しにならなかったとの事」
古い世代の貴婦人のプライドは「無視」という作戦をとられた。

これで言うと、浩宮さまがお生まれになって、しかし、奥ではやはり空気がおかしく、とうとう明仁皇太子と美智子妃は昭和天皇に直訴した。昭和天皇は「よく分かった」とおっしゃってくださったが、良子皇后は無視した、ということになる。
36年8月11日当時、入江氏はまだ侍従である。(この人の母方のじいちゃんと昭和天皇の祖母(柳原愛子)が兄妹の間柄、また三笠宮百合子妃は入江氏の姉の娘である)
下らなさに腹が立つと言っているから、大したことではないのであろう(つまり、侍従長の耳にいれておかなければならぬような話ではない、ということ)。
しかし、東宮と東宮妃にとっては、我慢ならないことだったのだろう。それを昭和天皇に訴えた。
渡辺帽子は完全に「美智子妃」の味方だが、入江氏はどう思っていたのだろう。

渡辺帽子は勝手なところだけ入江氏の日記を引用しているから、よくよく時系列でものごとを見ないとわからないが、実は「明仁美智子夫妻、那須で直訴」の前月、昭和36年7月23日に昭和天皇の第一皇女、東久邇成子さまがガンのためなくなっている。
良子皇后は照宮さまがもう助からないと聞いて、それでも奇跡を信じておかしな祈祷師にまですがられたと「陛下お脈拝見」の杉村医師が書いている。
照宮さまが息を引き取られた時には、もう涙も枯れてかたわらにぼんやりすわっておられたということである。
そのご心痛を癒すための那須行きであったはずで、そこへ夫婦して乗り込んで、侍従が「下らなさに腹が立つ」と言うくらいのことを、訴えるというのは、どうなのだろう?
いくら自分たちにとって重大事であっても、自分たちも子を持つ親となっているわけで、残された5人の小さい子たちの行く末、逆縁となった両親の悲しみ、そういうことを思いやらなかったんだろうか?
照宮さま、御年35才、おそらく心を残して逝かれたであろうその時からまだ1ヶ月もたっていないのである。
良子皇后はどんな想いで息子夫婦の訴えを聞いておられただろうか。




この記事にコメントする
NAME
TITLE
COLOR
MAIL
URL
COMMENT
PASSWORD   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
♠ みどりバアさんは
入江日記なんか読んでないと思うよ。
入江日記が出版されて、週刊誌が騒いだ部分しか出してないものw

>事実は一つ、解釈は多様なのである。

これは「さやにしたもつ」で宮内庁に叱られたことへの言い訳だねぇwwwww

でもさ、マジ、美智子さんたちが昔からこんなだったなら、いじめられるのは当たり前だわ。
「言いつけてやる」のお嬢様方が輩出されるwわけだ。
これを見てたら、しょっちゅう静養先に押しかけて、「兄貴より天皇とはよく話している」って言う鯰夫婦は、勝手な自分都合の解釈で今上を好きに動かしているんじゃないかな、とちょっと怖くなった。
Rosa wichuraiana 2011/01/08(Sat)09:12:55 編集
♠ 率直に言って、良子皇后の名誉回復を
このようなゴタゴタした事になる前、昭和の時代から、「良子皇后は気の毒」と私は思っておりました。
7人のお子さんへのそれぞれの想いがあり、別に明仁さんだけの母じゃないのにそのことが配慮されていない。
貞明皇后という強力なお姑さんがいて、ずいぶんタイプが違う方なのに尊敬して一生懸命と仕えていたという、お嫁さんとしての立場がほとんど伝えられていない。
常磐会の一部の独走と思われる行為にまで、荷担したように伝えられている。
などなど、報道のゆがみには大きなものがあると思います。

私の父は良子皇后のファンでした。それはなんとなく子どもの時から知っていた。
(母も強烈にそうだというのは、最近知ったのだけど。)
父は「ニコニコとおおらかだから、海外からの来賓にとても評判が良いそうだ」とか、「そもそも、息子の結婚なのだから、お母さんの意見を尊重しなきゃいけない。民間妃をと思ったら、まずお母さんから説得して根回しなきゃいけないのに、宮内庁の配慮がないからすきま風が吹いたのではないか」とか、美智子妃をTVなどで見ながら「なんか不自然なんだよ、意識しすぎている、婚約したあたりからこの人はおかしくなっちゃった」とか、ブツブツ言っていました。

当時は子どもだったので、「ふーん」としか思っていなかったけれど。父の人物眼を見直すこの頃であります。

お姉さんが亡くなってすぐに、両親につまらないことを言いに行く息子って何なのかなあ。よくできた照宮さまに内心ライバル心があったのかな。「頭が良く媚びなく素直な女性が嫌い」なのが明さんて言う人なんだ、って考えるとなんだが納得ができます。

渡辺ぼうしってホントにアホ。
ルビー 2011/01/08(Sat)10:45:01 編集
♠ 照宮成子さま
この方について書かれているもので、誹られている文章を見たことがない。特に、ご学友の立場にあった酒井美意子さん、岩佐美代子さんの書かれたもの。
後者では、純粋なまでの心服ぶりが印象深いですし、前者では前田侯爵家の長女というプライド高い美意子さんも一目置かざるを得ない、誇り高く聡明でしっかりした宮様という印象でした。

終戦直後、宮家から平民に落とされて、家計が困窮するなか、養鶏などで立派に家計を支えた照宮さまの姿を、美意子さんは「地位を失って呆然としている男たちを尻目に、賢く生きた女性たち」というような言い方で賞賛していました。かくいう美意子さん自身も、GHQと良好な関係を保って商売をして儲け(ちと自画自賛ぎみ?)で、対して「鶏を育てて」の照宮さまは随分地味な商才という印象だったのですが、今思えば昭和天皇の長女というお立場も勘案しつつ、ということでしょうか。

天皇制が象徴天皇制に姿を変えつつ生き残るための供犠のように、宮様から一平民に身を落とされた照宮さま。照宮さまの嫁がれた東久邇宮家は、明治天皇の内親王と昭和天皇の内親王を迎えた、最も天皇家に近い血筋の宮家だったけれども、直宮家以外は廃宮家の原則を守られた。昭和天皇の強いご意志を感じます。

子女のなかでも特に聡明で、戦中の苦労を分かち、戦後は身代わりのように一番過酷な運命に孤軍奮闘した娘。漸く訪れた安定にやっと一息ついたところで、病に倒れ、35才の若さで逝ってしまった。
このときの親としての昭和天皇ご夫妻の御心のうちを推察するに、ほんとうに、言葉もありません。
そうだったのか、と思うばかりです。

管理人様、ご紹介下さってどうもありがとうございました。
ペリドット 2011/01/08(Sat)11:13:08 編集
♠ 秋篠宮妃は批判に耐え
親王誕生で陛下がこう言ったことあったでしょ。
国民はそんな事内心思っていても表に出さなかったし、マスコミは「キコサマご立派」一色だったから、このお言葉に私は「へ?」と思ったんだけど、今、はっきりわかる。
キコさんが陛下にチクってたんだ。
美智子さんにならって、悲劇のヒロインになるために。

それにしても、美智子さんってキコさんよりはだいぶマシな人だと思っていたけど、メンタリティは一緒だと知って、さらに脱力ですだ。

何度もごめんね。
書かずにはいられないよ。
他にもまだある?
あるなら書いて!
Rosa wichuraiana 2011/01/08(Sat)11:17:40 編集
♥ Re:秋篠宮妃は批判に耐え
>それにしても、美智子さんってキコさんよりはだいぶマシな人だと思っていたけど、メンタリティは一緒だと知って、さらに脱力ですだ。

私も。
似たもの同士なんだなって、雅子さまが病むはずだと思った。

>他にもまだある?

あるみたい。
1/3管理人  【2011/01/08 12:04】
♠ Re: 秋篠宮妃は批判に耐え
>マスコミは「キコサマご立派」一色だったから

うんうん、なぜか最初から男の子と決めていて「皇統を救った」とか「笑顔さわやか(ケッ)」とか、「怠けてばかりのどなたかと違って、腹ボテでも公務に出られるキコさま」とか、ヨイショぶりはすごかったよ。批判記事なんて見なかった。

リアルのおばちゃんたちの反応はすさまじかったけどね。あれで決定的に嫌われた。でもあくまで井戸端会議で。わざわざ宮内庁に抗議する人なんていなかった。

だから今上のその言葉を聞いたとき、「へぇーっ、そんなこと知ってんだ。2ちゃんでも見てるんか?」と意外だった。
その後の国民のしらけぶりとか、親王さまの人気の無さとか気付いてるのかなあ。

いくらマスコミがヨイショしても、コームに出た時、国民の人気の無さを肌で感じないかな。いかにザイルの神経のあの方でも。

秀頼の生まれた後の秀吉みたい。何とかこの子に盤石な地位を確保してやりたいと、養子かだれかを切腹させて、その妻子も殺したのでは? 日本史は弱いんだけど。
世が世なら、徳仁さまを切腹させて、雅子さま敬宮さまを斬首させるくらいするんじゃなかろうか。
消極的な形で、じわじわとそれに近いことやってるもの、あのじぃ様は。
その後の秀頼の運命を知らないのかな。
Rosa laevigata 2011/01/08(Sat)12:12:48 編集
♠ ジグソウパズルの1ピースからでも見えるもの
>その後の秀頼の運命を知らないのかな。
あの強かな女(つい、あの時を思い出してw)が淀さまか?そんなええもんか?w
と突っ込みたくなりました。
皇室の方でも市井の人間でもしない下品な事をするなぁと私は呆れていました。

照宮さまのことですが、癌で宮内庁病院にご入院の時、両陛下(昭和)は出来る限り(時間の許す限り)お見舞いに行かれました。
お苦しみの成子さまに出来るだけ負担をかけないように、夏だったので天皇がお願いをしてクーラーを入れてもらったそうです。
このお見舞いの様子で愛情深い父母像が頭に浮かびました。
きっと病で入院されてから父母の愛を素直に掛けられたのではと思いました。
ほんの少しの文章からも、愛情深く、人間らしい両陛下が見えるのです。
今上両陛下は何かコーティング(お化粧直し)した姿しか見えず。人の温もりを感じるエピソードは聞こえてきませんね。
お亡くなりになって1ヶ月お心を痛めていらっしゃる時につまらぬことで、両陛下に(文句を)言いに行く・・・

もう少しで墓場まで歴代一の皇后と讃称されるはずだったのに、あの宮妃がメッキを見事に剥がしてくれています。

昔、美智子さまを尊敬していたことは無かったことにしてください。
トルコ石 2011/01/08(Sat)16:22:42 編集
♠ Re: 秋篠宮妃は批判に耐え
言ってた、言ってた。私も思い出したよ!

妊娠6週がリークされてから、そりゃ凄いマンセーぶりだったよね。
民法とはいえ、わざわざ全国区ニュースで  「虹が出た」とか「蘭が咲いた」とか  もう北朝鮮ばりのマンセーだった!
(政治家さんは正直なもんで
・のり子さんが妊娠した
・清子さんが妊娠した
・佳子さんが妊娠した
って言ってた。 私も結婚するまでは 川嶋のり子 って読んでた^^;)

紀子さんを批判してる記事なんて皆無だった (某巨大掲示板では叩かれてたけど、それでも隅っこに追いやられた )
マスコミは  デカい腹かかえながら公務して立派! まさしく国母! ばかりで、批判してる記事なんか無かった。

ところが天皇が 「秋篠宮妃は批判に耐え」 なんて発言するから、私も (なんでそんな言葉になるんだ? みんな紀子さんマンセーしてたけど? どこをどう読んだら批判になるの? まさか天皇って2chの隅っこに追いやられたスレを知ってんの?) って、不思議だったよ。

(ところが、雅子様は病気で苦しんでるのに、とにかく批判されまくってた。
そして皇太子ご夫妻は、心配して下さったオランダのベアトリクス女王陛下から招待されてオランダ訪問されたのだって、叩かれた。
誰も、日蘭友好親善とは言わなかった。
天皇が「私的に訪問したことない」って言ったけど、後になって「そんな意味じゃない」って逆切れしたのは、後世に残る発言だね)

とにかく、何を根拠に 「紀子批判」 になったのか、可能なら天皇に言ってほしいよ。




>キコさんが陛下にチクってたんだ

何か雑誌で 「紀子さんは2人目を妊娠した時、雅子様のことを考えたら妊娠は控えるべきだと批判された。そのことを、紀子さんは美智子さんに涙して話された。しかし美智子さんは紀子さんを力づけた。それ以降、3人目を控えた」 みたいなことが書かれてたよ。

私はそれを読んだ時 (姑に泣き言を言うのもいいけど、まずは旦那にじゃないの? それに、皇太子ご夫妻に子どもがいないからって、弟夫婦が子作りを控えるって変じゃね? 歴代天皇を見たら、子どものいない天皇は普通にいるんだけど? 本当に愛し合ってて子ども大勢欲しいなら、文仁は男として全力で妻の紀子を守って、ガンガン子作りすりゃいいじゃん。それに皇族って子作りも公務って言われてたよね? ア~ヤって皇族としても男としても情けないし小者なんだなぁ) って思った。




成子さまが亡くなられた後の話……知らなかったです。
「照宮さまは聡明で、皇女としての身分をひけらかすでなく優しく、お付きの方々からも慕われていた」って皇室本か何かで読んだ記憶ある。
その成子さまが亡くなられて(もしかして50日たってない?) 昭和天皇と香淳皇后を慰めるじゃなくて自分たちの話を訴えるなんて、ルビー様じゃないけど、何だかなぁ……だよね。




>秀頼の生まれた後の秀吉みたい。
>何とかこの子に盤石な地位を確保してやりたいと、養子かだれかを切腹させて、その妻子も殺したのでは?

女房の甥を養子にしてたんだけど実子が生まれて邪魔になったんで、養子を根も葉もない噂で追い詰めて叩きまくって(今で言う)ノイローゼに追いやって、切腹させたんだよね。
幼女はもちろん、側室になったばかりの14才になるかならずかの娘さんも斬首して、関係者みんな晒し首になった。公開磔もあったっけ? 
つまり「根絶やし」にされたんだよね。

秀頼は、実は大物になる器量を持ってたって言うけど(それを家康がビビッたとか) 秀頼は良くも悪くも お坊ちゃま で計算が足りなかったし、ママの淀君も浅はかだったし、側近も周囲・情勢を冷静に見れなかったしで、だんだん人心が離れていって、結局は大阪城と一緒に燃えちゃって、豊臣家は滅亡したんだよね。

学者によって色々な解釈あるんで、そこらへんは突っ込まないでね(^^;)
(今の大阪城はコンクリートなんでエレベーター付いてるのがGood♪  今は改修中の姫路城は、滑り止め靴下が要る)

ガーネット 2011/01/08(Sat)16:42:15 編集
♥ Re:Re: 秋篠宮妃は批判に耐え
>成子さまが亡くなられた後の話……知らなかったです。

私も知らなかったです。
渡辺帽子の文章を検証するつもりで、入江日記を読みなおしてびっくりしました。

>その成子さまが亡くなられて(もしかして50日たってない?) 昭和天皇と香淳皇后を慰めるじゃなくて自分たちの話を訴えるなんて、ルビー様じゃないけど、何だかなぁ……だよね。
>
7月23日 照宮様薨去
    ↑
   24日間
    ↓
8月16日 入江氏、同僚の稲田侍従より那須でのことを聞いて、日記に記す。

また「夜10時過ぎまで」ってのがすごいと思いました。
照宮さまは昭和天皇が見舞われた時「また、7月には那須へ行かれますか?」と聞かれて、昭和天皇はスケジュール帳を開いて「ああ、もう予定に入ってるね」と答えられたそうですが、主治医から夏は越せないだろうと聞かされていて、スケジュール帳は真っ白だった、とっさに嘘をつかれたのだそうです(と、河原敏明氏が書いてます)。
泣けて仕方ありませんでした。
1/3管理人  【2011/01/08 17:37】
♠ Re: 秋篠宮妃は批判に耐え 後ろめたいから?
マスコミはお喜びを表していたけれど、市井の民の多くはシラ〜としてはいた。

でも、少数漏れ聞こえたかも知れない批判で「秋篠宮妃は批判に耐え」と言ってしまうのって、「後ろめたいんです」と言ってるような感じがしますよね。お天道さまに対して。

明仁親王が誕生した時に、国をあげて喜んだという様子をだいぶ前に読んで「当時は、天皇家の男児ってそんなに大切だったんだ」と思いました。

思えば、「昭和天皇の待望のご長男」これが明仁親王のアイデンティティだったのかもしれないですね。聡明なお姉様達がいても、男子だったからこそ。
その「アイデンティティ」が重要だったのかなあ。という事は裏を返せば、他に自信となるものがない・・・。

人生を狂わせるのは、コンプレックスとエロス。
秀吉もまたしかり。
しかし、同じ状況でも生き方が狂わないのが「心の奥まで尊い人」。

それにしても、思いやりのない嫁と息子に、随分耐えた良子皇后様が本当にお気の毒です。
ルビー 2011/01/08(Sat)19:13:11 編集
♠ Re:Re: 秋篠宮妃は批判に耐え
そうなんだよね、照宮様が薨去されて 24日しか経ってない んだよね。
もう、何というか本当に……
もう浩宮様がお生まれになっていたんだから、子を持つ親の気持ちは分かりすぎるほど分かるだろうに、逆さを見るってことが、どれほど辛いことか想像できるはず。
でも明仁皇太子と美智子妃は、その悲しみを思いやることよりも、自分たちの話を聞いてほしかったんだよね。

今まで怒りの気持ちだったけど、今ふと  心が無い可哀想な夫婦だな  って思っちゃった。




>主治医から夏は越せないだろうと聞かされていて、スケジュール帳は真っ白だった、とっさに嘘をつかれたのだそうです(と、河原敏明氏が書いてます)。

私も今、泣いてる……




>「後ろめたいんです」と言ってるような感じがしますよね

あの発言は  実は、受注生産しちゃったもんですから~  って自覚あったみたいに聞こえたよね。




>明仁親王が誕生した時に、国をあげて喜んだという様子をだいぶ前に読んで「当時は、天皇家の男児ってそんなに大切だったんだ」と思いました。

継宮明仁親王 って、父帝である昭和天皇が名付けられたんだけど 「その名には、まさしく昭和天皇の喜びが表れている」 って、私が読んだ皇室本に書かれてた。




>それにしても、思いやりのない嫁と息子に、随分耐えた良子皇后様が本当にお気の毒です。

私も同じ思いです。
ガーネット 2011/01/08(Sat)20:13:40 編集
♠ 男子というアイデンティティ
>その「アイデンティティ」が重要だったのかなあ。という事は裏を返せば、他に自信となるものがない・・・。

当時の天皇は三軍の長だったから、女帝はあり得なかった。明さんが生まれた時、「日嗣の皇子あれましぬ」とかいう歌までできて、提灯行列があちこちで行われたと聞いてる。
ご本人も、そういう話はさんざん聞かされただろうね。
香淳さまも「一番うれしかったのは皇太子が生まれた時」と言ってたから、それまでよほどのプレッシャーだったと思う。
(でもちょっと前アップされた写真の年齢見ると、香淳さま27の時の子。それで6回目のお産? そんなに早くから産み始めたから可能だった)

どんなに○○でも×××でも、ナニがついてりゃ女より偉いという価値観は染みついてると思うよ。
子鯰くんが生まれた時、その光景が再現されると思ってた。ところがどっこい、大半の国民はシラーッとしてる。内心焦ってるんじゃない?
歌まで詠んで、「朕もワギモもこの子を世継ぎにしたいんだー」とアピールしてるw

Rosa laevigata 2011/01/08(Sat)20:48:06 編集
♠ こちらのブログを見ていたら・・・
皇太子様が婚約会見で 「雅子さんを全力でお守りします」 って話されたでしょ?
私は今まで
皇太子様は、母である美智子皇后の苦労を知ってるんだ。 そして父である今上天皇は、苦労している美智子皇后を全力で守ってきたんだ。 皇太子様は、皇后が苦労している姿、天皇が全力で皇后を守ってきた姿を見て知ってるんだ。 だから、天皇のように、雅子さんが苦境に陥ったら皇太子様は “雅子さんを全力で守る” って発言したんだ。
って思ってた。

でも、こちらのブログを見ていたら、 もしかして皇太子様は「(昭和天皇のように)全力で守る」って意味での発言だったんじゃなかろうか? って思うようになった。

そりゃまだ浩宮様は生まれてないけど、昭和天皇がマッカーサーを訪ねたのは国民を守るためだった。
香淳皇后は意地悪婆みたいに悪く言われて、香淳皇后は辛い思いも悲しい思いもされただろうけど、何も反論されなかった。それは昭和天皇が慰めて守っていたからだよね?
成子さまが先に亡くなられて悲しんでらした時、そのさなかに息子と嫁がグダグダ言ってきて本当にお辛かったし、父である昭和天皇も悲しまれたけど、昭和天皇は香淳皇后を支えられた。

写真を見ると、昭和天皇は本当に家族を愛してらっしゃるというのが分かる笑顔ばかり。撮影だからってことで、こんなに優しく慈愛に満ちた表情は作れないよ。

なんだかね。 昭和天皇の、国民を守り家族を慈しんでき姿こそが、帝王学なんじゃないかなぁ… って気がしてきたんだよね。
だから皇太子ご一家を見ると私は、昭和天皇・香淳皇后を思い出すんだ! って最近になって思ううんだ。



まぁ、田舎の無知なオバサンの妄想だけどね。
でも、アップして下さった入江日記とか、写真とか見ると、妄想じゃないような気もするんだよね………
ガーネット 2011/01/09(Sun)00:12:49 編集
♠ デザイナー森英恵さんの最新の著書から
ファッションデザイナー・森英恵さんが、最近、以下の本を出版された。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163734507

森さんは皆様がよくご存知のように、雅子様の結婚式の時のローブデコルデを作られた方。
その森さんが、以上の本の196頁に以下のような事を書いておられる。

「皇室の仕事については、黙して語らないのを私は旨をしている」
と。

だから、少しでも、皇室と関係ある仕事をした人は、皇室の事は語ってはいけないのが掟だと思います。
今、TV・雑誌・新聞などで、皇室、特に皇太子ご一家の事をぺらぺら話す人は信頼してはいけないという事です。
ウィルヘルミナ 2011/01/09(Sun)00:21:19 編集
♠ わたしも誤解していました
わたしも幼少の頃より長年香淳さまのことを「平民出身というだけで美智子さまを見下す意地悪な姑」というイメージを持ってきました。

わたしはそれまで皇太子妃は「次世代の皇室像の作り手」として皇后の持つスタイルとは別のあり方を追求できる自由を持っているのだと思っていました。前例のない母乳育児をし東宮御所にキッチンを作られ、ご自分の価値観とセンスをフル活用できるお立場なのだと。

雅子さまも皇太子妃時代の美智子さまを見て、自分も自分なりのスタイルを持った皇室像を作れると思ったかも知れません。

しかし現実はお世継ぎ優先を理由に海外公務を制限され、国賓として晩餐会に出られたエリツィンやクリントンと通訳なしで会話したことにもケチをつけられ、挙句の果てに東宮御所のキッチンの新調も阻止されるありさま。

要は「美智子流」以外は許しません!ってことだったんですね。

マスコミの後押しを受けて好き放題やってきた美智子流「新しい皇室」づくりを静かに見守っていた香淳さまの心の広さに今さらのように気が付きました。

マスコミや皇室評論家たちの心ない中傷(批判ではなく中傷)にいちいち反論したりして彼らと同レベルに堕ちることをよしとしなかった高貴な方ならではの矜持に心打たれます。そしてそれは現在の皇太子ご一家にも通じる品格の高さです。

「エンプレススマイル」は残念ながら美智子さまがどんなに一生懸命頑張っても絶対真似のできないものですね。
noelle 2011/01/09(Sun)00:52:46 編集
♠ ある御方は幼く哀れ
>照宮さまは昭和天皇が見舞われた時「また、7月には那須へ行かれますか?」と
>聞かれて、昭和天皇はスケジュール帳を開いて「ああ、もう予定に入ってるね」と
>答えられたそうですが、
>主治医から夏は越せないだろうと聞かされていて、スケジュール帳は真っ白だった、
>とっさに嘘をつかれたのだそうです(と、河原敏明氏が書いてます)。

愛情や暖かさを知り、悲しみや悔しさに心が張り裂け、いつか深い思いやりや穏やかさを持つに至る。
弟君の秩父宮のご臨終に立ち会えなかった事、尊敬する先生が自害された事、多くの民が自分を信じて玉砕していった事、それなのに敗戦を認める決定をした事、愛娘に立場上負担を強いる事になってしまい、その娘が病に伏し亡くなってしまった事。

老いて優しく笑う昭和天皇、香淳皇后。
その笑みは深く暖かい。多くの哀しみやご苦労、そして愛情の先に訪れた、穏やかさ。

その背中を見て育ったご子息が、自分には家族がいなかったように語るのはいかがなものか。そして、張り裂けるようなお悲しみにくれるご両親に、愚痴のような事を言いに行くとは、余りに幼い。

自分自身の価値基準があり、自分が手に入れた幸福を、心から幸福だと思える。
その状態になって、初めて人は、人として完成するのではないでしょうか?

昭和天皇と、良子皇后は、ご結婚されて、心の底からお互に「この人が愛せて幸せだ」と思っていたように感じます。他と比べてみるなんて思いつきもしないような。
皇太子様も、雅子さま愛子さまのご家族に、大きな安らぎと幸福を感じているように思います。

なんとなく冷たく、よそよそしく、また横目で他の人の様子を見ている人たちは、心から愛している人がいるのだろうか? 
他人の評判ではなく自分の価値基準で、自分の生き方に満足できているのだろうか?

自分の手中にあるものが玉であるのかどうか判らず、いつも横目で他人の手の中のものと比べている。それは可哀想で情けない生き方だと思う。
だから、人として完成せずに、思いやりの心も持てないのではないでしょうか?

提灯行列が好きで、身内の病は嫌い、つまりご幼稚。
だから、太鼓持ちや、胡散臭い自称ジャーナリストに取り囲まれてしまう。
ルビー 2011/01/09(Sun)01:18:18 編集
♠ くだらぬこと
みどり帽子さんには美智子様の一大事を「くだらぬこと」と切って捨てる入江侍従、ここにも美智子様イジメが、という気分なんでしょうけれども。
12分割サンドイッチとか正確に5ミリ角のタマネギみじん切り、とか言う話を聞かされちゃうと、入江氏の感想に軍配上げたくなります。
まあ、上記の逸話を「美談」とするみどり帽子さんには、やっぱり「おかわいそうな美智子様」になるのでしょうが。

それにしても、特製ビニール傘とか今発見された恋文とか手紙とか、泥の中の土下座とか、こっちにしては「ビミョー」にしか思えない逸話が「美談」として次々と報道されるのって、何なんでしょね。

泥の土下座はウソだったらしいし、もしかすると皇室記者は皇室を貶めようとする人々なの?
ペリドット 2011/01/09(Sun)01:44:29 編集
♠ 何故か全然記憶がない
幸せなことに、私は生まれてからこの方、美智子妃さまに憧れを抱くことがありませんでした。たぶん、メディアで知ると同じ頃から、実際に私の眼で拝見する機会が幾度かあったはず。そして、見たというエピソード自体は覚えている。

でも、そのご様子がなぜか全然、全然、思い出せない。
あまりお姫様に興味のない子だったので、男児と怪獣ごっこでもしてふざけていたのかもしれません。

また、我が家の雰囲気が「良子皇后好き」だったので、そんな気配を知っていたのかもしれません。

いずれにしろ、子供心に何も感動しなかった。
そして、別にイヤと強く思うこともなく、まあ常磐会とかは苛めているだろうから、難儀しているだろうなあなんて思いつつ、まさに意識に入っていない感じでスルーしながら大人になっていきました。でも、思春期になってからは、良子皇后に対しては逆に「なんで悪く言われちゃうのかな?」って、気の毒だった。

>12分割サンドイッチとか正確に5ミリ角のタマネギみじん切り、とか言う話を
>聞かされちゃうと、入江氏の感想に軍配上げたくなります

子どもって何か敏感だから、美智子妃ってなんかツンツンしているお姉さんだなあ・・・と思って、「興味ないな」って思ったのかもしれないです。バービー人形系より、ぬいぐるみさんや木目込みのお雛様のように、ふっくら優しげなお母さんぽい人が好きだったのかも知れないです。

>5ミリ角のタマネギみじん切り・・・
そんな国母は怖すぎです。
ルビー 2011/01/09(Sun)02:13:00 編集
♠ 昭和の良識
おはようございます♪

私は、ごく最近になって自分の母が、初等科の父母参観などでお見かけしていた美智子妃さまに、かなりの違和感を感じていたのを知った。ある種、否定的な感情を持っていたのを知った。

しかし、私が子どもの頃とか、十代の頃とかには、母はけしてその感想を言うことはなかった。

ごくごく普通の庶民の主婦である母だが、自分の子と浩宮さまが同じ学校にいるうちに、そのような気持ちを表すことは、あってはならない事だと思って口をつぐんでいたのだと思う。庶民であっても、それが昭和の良識だったのだなあと感じます。
ルビー 2011/01/09(Sun)08:52:17 編集
♠ 薮蛇
ブログ主様
皆様

あけましておめでとうございます。
今年もお邪魔させて下さい。

今上夫妻の発言は、薮蛇なことが多いですね。

そもそも皇太子殿下の人格否定発言の折がそうだった。皇太子殿下は主語も何もおっしゃらなかった。自分も周囲も、あの直後は特に「誰がした?」と思うことなく聞いていた。それなのに!今上夫妻がガタガタ騒いだ。馬鹿な鯰雌鯰を使って。自分をはじめ周囲は、これで、「誰が」の主語を特定してしまった。ああ、あんた達だったのねと。鯰雌鯰の誕生日会見での不届きな発言も、マスコミは大絶賛だったが、自分の周囲では大ブーイング。今上夫妻とこいつらがつるんでいるということ、確定しましたね。鯰どもに対する罵詈雑言で、どれほど場が沸騰したか。職場でさえ。

こちらもそう。誰も批判なんてしてないじゃない?やっぱり後ろめたいのか。色々あったのか。確信させてもらいましたよ。

本当に馬鹿ですね。(こいつら相手には、敬語使う気にも、敬称使う気にも、言葉を選んで遠慮する気にも、もはやなりませんね。そもそも、自分の周囲では、今上夫人、とうの昔から評判最悪だったし。今上も勿論。我々が鯰が天皇になったら世も末、と思う以上に、今上の即位には、世も末と思っていた。本当でしたね。最悪の時代です、平成は。)
お邪魔します 2011/01/09(Sun)11:11:13 編集
♠ ミリ単位のこだわり
サンドイッチ、たまねぎの話で思い出した。

今上夫人がベストドレッサーになった時。
自分や周囲、選んだ人のセンスを疑いましたね。
「あれがベストドレッサー?!」
選考した人々、気でも違ったのかと。

その時のいつもながらのアゲアゲ記事の中で自分がぞっとしたのが、「ボタンの大きさもミリ単位で注文する。それにあわせて、ボタンを削る。」という記述。気が狂いそうになりましたね。
そんなこだわりの末、出来上がったのが、あの頓珍漢な衣装。中途半端なぼかし。奇妙なマント。チャンピオンベルトみたいなベルト。皿のような帽子。昔はターバンみたいな帽子を常にかぶってましたね。一時期はアイボリー色の服ばかり着て、「アイボリーのお化け」と与謝野馨の母親に言われてましたし、自分の周囲の子供達は、「ターバン巻いたヘンなおばさん」と呼んでましたね。敬意のかけらもない。( 自分の周りでは老若男女問わず、昔から今上夫人に敬意を表するものはいませんでした。近いところにいた人ほど、だめでしたね。)

ある時偶然ある店で、今上夫人の衣装のデザイナーに出くわしたことがあるのです。市井の一市民でも、意外にこういう機会ってあるものなのですね。その時申し訳なかったのですが、その場に居合わせた何人かで(まあ、無遠慮なオバサン達ですから)、言ってしまったのですね。「何でなんな服、作るんですか?本当にいいと思って作っていらっしゃるのですか?」と。その返事、物凄くげんなりした顔で「だって、ちっとも言うことを聞かないんですもの…。」言うことを聞かない、という言い方もなかなかですが、まあ、いかにか強情なお人柄であることが、その言葉から解りました。「なるほど…。お気の毒に。」という他、ありませんでした。

今上夫人のことは、思っただけで、気が変になりそう。
お邪魔します 2011/01/09(Sun)12:51:45 編集
♠ Re: 何故か全然記憶がない
私は小学生だった頃に動員かけられて、明仁皇太子・美智子妃の車列に日の丸を振ったんですよ。

ある日突然、朝っぱらから日の丸を作らされて、道端へ移動させられたんだけど  なんで今日こんな事させられるんだろう? でも授業が無いから嬉しいな♪ なんて思ってた。

そうこうしたら、明仁皇太子・美智子妃が乗った車が(前後たくさんの車に挟まれて)やって来て 「皇太子夫婦だ! 日の丸を振るように!」 って言われた。

その時やっと私は  近くを通るから日の丸を作ったんだ  って分かった。

私たちを見つけたからだろうね(車は、あらかじめ知ってたのかも。だって、小学校だって知らされてなきゃ、全校児童分の日の丸の材料は揃わないだろうし?) 車のスピードが落ちた。
ゆっくり走る車の中から、明仁皇太子と美智子妃は、にこやかに笑って手を振ってくれた(窓が開いてたかどうかは全然記憶がない)

友だちと一緒に  綺麗~! 美人~!  って感激したなぁ。
本当に綺麗だったよ、美智子さん。車の中にいたのに、本当に光り輝いて見えた。

私たちを見て、車のスピードを落としてくれたこと。
私たちに笑って手を振ってくれたこと。
美智子妃が本当に綺麗だったこと。
前後に、新聞社の旗が付いた車があったこと。
そんなことを作文に書いたら、ちょっとした賞を貰った(^^;)
全国区の賞じゃなくて良かったと今、マジで、思ってる(苦笑)
ガーネット 2011/01/09(Sun)15:58:09 編集
♠ 1cm角ですっ!
流れが速くてついてけないけど

もし美智子さまがここをご覧になったら、HPで反論されそうなので

玉ねぎは1cm角に切る方法を、辰巳さんだかに訊かれたんです。偶然雑誌で読みました。
その切り方ですが、いいですか奥様方、まず玉ねぎを縦半分に切ります。それを横にして1cmの輪切りにします。真ん中の芯の部分を外して弧の形の玉ねぎを放射状に切ります。お分かりですか。

辰巳さんは「同じ大きさだと味が均等に染み込む」と褒めてらっしゃいましたが。

河原さんだかが「多少神経質で完璧主義過ぎるところが、他の皇族の反発を招いているのだろう」と書いてましたが、確かに傍にこんな人がいたらしんどいかも。
Rosa laevigata 2011/01/09(Sun)20:48:19 編集
♠ 5m角 でも 1㎝角でも…
料理っていうより実験してるみたい。

玉ネギの大きさを寸分違わず完璧に同じ大きさに刻む国母………

「ボタンの大きさをミリ単位で注文する」って話しに納得できる(^^;)
 
ガーネット 2011/01/09(Sun)21:48:47 編集
♠ Re: 渡辺みどりと入江日記
今になれば  あの会見、納得できるわな  って感じ。

成子さまは明仁皇太子の姉上。
姉上が亡くなって、その死を悲しむよりも、自分たち夫婦の不満を両親(天皇皇后) に訴えることを優先できるんだから、ハッキリ言っちゃうと  すげぇ冷たい人間なんだ!  って思う。

でも、そういう冷たい人間なら 「孫娘が発熱しがちで、こっちに来る回数が少ない」 って言えるし 「心配している」 って言葉を回答文に入れることはないわな って納得した。
姉の死よりも自分たちの不満なんだから、孫娘の発熱なんか大したことじゃないんだよね。



それにしても私は何というバカ!
5m だって。 5mm だよね。

みなさん、思いっきり私を嗤ってたもれ(^^;)
ガーネット 2011/01/11(Tue)00:38:37 編集
♠ 照宮様の作文。
私はどういうめぐり合わせか高貴な家に生まれた。私は絶えず世間の注視の中にある。
いつどこにおいても私は優れていなければならない。私は皇室を背負っている。
私の言動は直ちに皇室にひびいてくる。
どうして安閑としていられよう。高い木には風が当たりやすい。
それなのに高きにありながら多くの弱点を持つ自分をみるとき、この地位にいる資格があるかどうか恐ろしくなる。自分の能力は誰よりも自分で一番よくわかっている。ともかく私は自分で自分を育て、築きあげていかなければならない。
この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られ、そして人知れず死にゆく運命を持った人々の前に立った時、護衛の警官やおおぜいのお伴をひきつれている自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。
(照宮様、中等科時代の作文(/_;),)
射手座 2012/07/29(Sun)16:29:59 編集
♠ re:照宮様の作文。
射手座様

ご紹介有り難うございます。
私も、wikipediaなどでこの作文を読んだことがありましたが、その時は、「どうして安閑としていられよう」のところまでしか引用してなかったので
皇族であることの気負いと誇りを強く感じて、少しイヤな印象も持ちました。
(少なくとも、アンチどもがここまでを引用して、皇族としてのお覚悟と褒め称えるけど、何か違うなあと思ってました)

今回、その続きの部分まで引用していただき、この作文にこめた照宮さまの謙虚なお人柄と皇族であることへの素直な戸惑いと怖れがよくわかって、とても腑に落ちたというか、感動しました。

照宮さまは、あくまで自分がふつうの人間でしかないこと、どんなに奉られていても、虐げられ苦しむ目の前の人に対して無力な、ひとりの人間でしかないことをわかっていて、
すまない、自分はどう生きれば良いのかと、考える方だったのですね。

>この炭鉱の奥深くで、来る日も来る日も働き続け世間から忘れ去られ、
>そして人知れず死にゆく運命を持った人々の前に立った時、
>護衛の警官やおおぜいのお伴をひきつれている自分の姿にいたたまれぬ申し訳なさを感じた。

この方ならば、震災の直後に被災地に入ることに忸怩たる思いを噛み締められたことでしょう。

同じ人間でしかない自分だとわかっていて、でも伝統と歴史のもとに、自分が象徴として生きる存在たることが運命づけられている。
そのことの重さをまっすぐに見つめておられる、こういう方を象徴として戴くことができたなら
そんな風に思います。

(その一方で照宮さまは、きっと一民間人という生き方を、それはそれで心からうれしく受け止められていたのでしょうね)
ペリドット 2012/07/29(Sun)19:42:10 編集
♠ 時代を一身に受けた皇女。
昭和天皇の第一子・照宮様は昭和の前半を生き、高度経済成長の日本を見ることなく、35才で旅立たれました。
短い生涯の前半は典型的な内親王として、勉学の希望もかなわず10代半ばで顔も知らぬ宮家に嫁いでゆかれました。初産は東京大空襲当日、防空壕の中でだったそうです。戦後は一般人となり皇族特権を失い、敷地を耕して野菜を作り鶏を飼い、幼い家族の為に食料を求めて奔走する日々だったそうです。
昭和天皇のお子様方のうちで最も優れていると評された照宮様は、愚痴一つこぼさず「やらねばならぬこと」を静かにこなし、日本社会がやっと落ち着いてきた1960年発病。手遅れの末期ガン。翌年夏、亡くなられました。
昭和天皇の内親王方は、さまざまに不幸を背負っておられます。ご主人の女性関係、お子さんの障害…。しかし、照宮様の生涯は「時代に翻弄された皇室」を体現しているように、私は思うのです。
昭和天皇、いかばかりかご無念でいらしたでしょうね。
射手座 2012/07/30(Mon)04:45:02 編集
♠ Re : 時代を一身に受けた皇女。
その照宮様は
「男子であれば素晴らしい天皇になられるであろう。明仁皇太子が照宮のような方なら良かったのに……」
とまで言われた方だったとか。

娘を亡くされて、昭和天皇と香淳皇后は非常に悲しまれた。
照宮様が逝去されて25日しか経っていない時、明仁皇太子と美智子さんは、昭和天皇と香淳皇后が滞在されていた那須に押しかけた。
そして明仁皇太子と美智子さんがやった事は、昭和天皇と香淳皇后を慰めるのではなく、自分達のことを、夜10時ごろまで、訴えた。
いくら民間人になっていたとはいえ、照宮様は明仁皇太子の長姉。
旧法にして 「嫁に実家は無い」 という膿家脳ウトメじゃあるまいし、この行動を見ると、明仁皇太子が姉上の死を悲しんでいたとは感じられないし、それに同伴しちゃう美智子さんも如何なものか。

明仁皇太子と美智子さんって本当は、他者の悲しみを想像する事が出来ない、かなり冷たい人間なんじゃないかしらね。
ガーネット 2012/07/30(Mon)12:28:57 編集
♠ スズメ様。ガーネット様。
スズメ様。
知人に幼児教育関連の仕事をしている人がいます。幼稚園への営業と園児の反応観察は、欠かせません。私がチラと「お茶の水女子大付属幼稚園には悠仁親王が通っているから規制があるみたい」と言いましたら、
「それでか!」
すぐ反応ですよ。身分確認だの~立ち入り禁止だの~とにかく親王入園以降、あの幼稚園では仕事にならない、と。
そない隠してどないすんねん。いつまで規制する気や。
ガーネット様。
香淳皇后は、東久邇成子さんの遺児達へも深い愛情を注がれたそうです。毎週のように御所に呼ばれ、ご馳走をいただいたと息子さんが語ってました。
「この御所の中にあるものなら、何でもあげますよ」
香淳皇后のお言葉に、まだ小さかった東久邇の息子さんは「じゃ、あれ」と大きな動物の置物だか剥製だか絶対無理そうなものを、わざと言っとみたんですって。→即座に大の男達がエイサエイサと、その大きなものを東久邇家に運び入れた…。
もしかして香淳皇后は、平民が嫌なのではなくて正田美智子さんが嫌だったんじゃ。
射手座 2012/07/30(Mon)15:40:59 編集
カレンダー
10 2019/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
アーカイブ
HN:
1/3管理人
性別:
非公開
職業:
30代~50代の主婦
趣味:
ネット
自己紹介:
某掲示板で知り合って、メールをやりとりするようになった仲良し?人組です。
考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
ブログ内検索
バーコード
コメント
[10/16 NONAME]
[10/16 NONAME]
[10/14 NONAME]
[10/10 NONAME]
[10/10 NONAME]
[10/05 brubru]
[10/05 h]
[10/05 h]
[10/04 h]
[10/04 brubru]
[10/03 射手座]
[10/03 射手座]
[10/03 射手座]
[10/03 射手座]
[10/02 射手座]
[10/02 射手座]
[10/02 Oakley]
[10/02 射手座]
[10/01 h]
[10/01 射手座]
[10/01 射手座]
[10/01 射手座]
[10/01 h]
[09/30 NONAME]
[09/30 NONAME]
なう記事
(09/30)
(11/17)
(11/06)
(11/06)
(11/05)
(11/05)
(11/05)
(11/05)
(11/05)
(11/05)
(11/05)
(11/05)
(11/05)
(11/02)
(11/02)
(11/01)
(11/01)
(11/01)
(10/31)
(10/31)
(10/30)
(10/30)
(10/30)
(10/30)
(10/30)
忍者カウンター

Copyright (c)Mrs Oakley Fisher の台所から All Rights Reserved.
Material by *MARIA  Template by tsukika