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がんばれ東宮職!
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美智子妃は見事親王をあげられ、国民の評判もよく順風満帆である。
その影で香淳皇后様は弟宮を結婚させねばと走りまわっておられる。
2月6日の日記には
「九時半に長官のところへ行きこの間葉山で皇后さまがワンマンに義宮さまのことをお頼みになったこと等を中心に話す。・・・(中略)・・・稲田さんの所で一時間ほど駄弁る。義宮さまのは結局まだ何ともなっていないらしい。困ったことである。(後略)」とある。
苦労されている。

まんまと聖心女子大に皇太子妃の座をもっていかれてしまった学習院の常磐会では、今度こそはと巻き返しをはかったと皇室本で読んだ気がするが、入江氏が「国民の9割9分は絶対の支持をしている」と言うのは、お誕生日のお祝いも入っているかな。
しかし、女性週刊誌の美智子様賛美の記事は、ものすごい勢いだったことは確かだ。
  

右側の頁は昭和33年11月27日(木)の日記である。
いわゆる正式に美智子さんが皇太子妃になると決まった日で、大きく衿のあいたパーティードレスに毛皮のストールのあのお姿でテレビに映られた。
手袋が短かったのでやんごとなき方たちから「やーっぱり平民はこれだから」と言われたとか、ずっと後にはあの手袋は実は宮内庁が用意したものだったとか、「美智子様ご苦労された特番」では必ず入っているエピソードの日である。
もっとも雅子さまの記者会見と並べて放映された時、ドレスの方に違和感を覚えた。あんな昔に、ちょっとかがめば胸の谷間が見えるようなドレスって許された?
当時は、着物でもミスなら衣紋をあまりぬかず詰めて着付けるなど、結婚前はあんまり肌を見せないとされてたように思うけど?(雅子さまがあの手のドレスで記者会見されたら、bakaiwaiなんぞ30年くらい叩くゾって思った)

ま、それはさておき、入江氏は美智子さんのお妃教育でも9回ほど先生役を務めている。
奥さんに「ひいきにし過ぎる」と言われるほど、美智子さんの入内には一生懸命だったようだし、美智子さんの両親を従えて一人だけの記者会見について
「この時の美智子さんの立派さは忘れられない」
と記している。
それより、朝10時からの皇室会議で全員一致で、正式に明仁皇太子と正田美智子嬢の婚約が決まったのであるが、長官より陛下に奏上、これはよい、しかし皇后さまには申し上げないというのである。
入江氏がびっくりして次長を皇后さまに差し向けている。
正式決定を皇后に報告しないなんて、宮内庁長官は皇后がこの期に及んで、また反対すると思っていたのだろうか?
もし面倒なことを言われたら困るからあんまり寄らんとこうという気持ちなのだろうが、皇后をないがしろにするも甚だしい。
皇后の方は、やはり身分制度があった時代に生きてきた方だから、なかなかすぐには頭を切り替えるのは難しかっただろうが、決まった事に対し、特別にムチャを言うというではないし、そもそも「皇后には言わんとこう」というのは、非常にけしからんことである。

4月8日の記述は、それがよく表れている。
「両殿下、正田家へいらっしゃることについて皇后さまにお許しを得てくれ」というのは、明仁皇太子が平民の家へ挨拶に出向くのを皇后が許してくれるだろうか、もしいけないって言われちゃったら・・・ドキドキ(長官)、ということなのだろうが、嫁の実家へ二人して挨拶に行くのは当然のことで、事実
「両陛下ともちっともご機嫌はわるくなく当然のことだといっていらっしゃった」
のである。

  

3月12日の日記。
良子皇后の美智子妃イジメの中でもよく知られた話である。
「アタシの時は馬は4頭だったのに、美智子は6頭なの?(平民あがりのくせに生意気じゃないの)憤慨だわ」というものである。
入江侍従は直接聞いたわけではないらしいが、時の皇后のご発言に対し「(そんなことおっしゃるなど)憤慨だ」と怒っているようである。
良子皇后の話で大変だと大騒ぎしているのは稲田侍従で、入江侍従は別にそれに同調するでなく、のんきに相撲を見ている(日付からいくと大阪場所である)。
ところが同日入江侍従にお召があり、特別緊急というわけでもないようで、相撲を見てから御前に出ると、陛下は美智子さんにたいそう期待をしていると仰せになったという。

馬のことは、翌々日の日記に顛末の記述がある。
3月14日(土) 快晴 寒 
「・・・・・・ご婚儀の時の馬の数は六頭でいいと仰せになった由、よかった。・・・」

平民からの初のお妃ということで、しかも最初から反対していたというので、良子皇后のちょっとした発言に、まわりがピリピリしていると言う感じがする。

おもしろいのは、3月7日の日記である。
「今朝も又正田さんが威張っているといふことから予が正田さんをひいきにし過ぎるといって君子が怒り出す。」
君子さんというのは入江侍従の奥様である。
侍従さんの奥様だから、あちこちからいろいろ話を聞くのであろうが、美智子妃をめぐって夫婦で意見が別れているのがおもしろい。

昭和天皇の御大礼は、関東大震災で延期になり、またぐっと質素に執り行なわれた。
明仁皇太子の結婚は、戦後の日本の復興を世界に知らせる意味があり、大々的に執り行なうことを政府は決めていたそうである。
ここでも美智子さんの運の強さがある。

  

美智子教信者のみどり先生は、実は「皇太后良子さま」という本も書いている。
どんなふうに褒めているのかと思って買ったのだが、美智子様にからむ話になると、どうやっても美智子賛美はやめられないらしい。

その後書きに自分で書いているのだが

「前略 渡辺みどり先生、あなたは間違っておられる。長年國母陛下として昭和の陛下に仕え、大任を果たされた良子皇太后を『意地悪姑』扱いするのは、おやめください。(後略)」
便箋三枚に書かれた、好意あるおさとしのお手紙であった。事実は一つ、解釈は多様なのである。


案外気にするんだな、とおかしかったが、「おさとしの手紙から事実は一つ」まで、たった一行だが、変な文である。
どうやっても「意地悪姑」を払拭できなかったか?

「良子様意地悪」で証拠のように出されているのが「入江相政日記」である。
たしかに「平民からとはけしからん」と良子皇后が秩父宮妃や高松宮妃と一緒になって訴えた、という記述があって、この「皇太后良子さま」にもちょくちょく出てくるのだが、本当に良子様は意地悪なお姑だったのか?気になって、みどり帽子が引用している入江日記の箇所を実物の方も読んでみた。

まず、渡辺みどりの方である。(P153-4)

私は美智子様の弟正田修氏、(現日清製粉社長)にインタビューしたことがある。「当時、私は高校生で理解できないこともありましたが、逆に年月がたつにつれ、あの時の両親は本当に大変だったろうなあという感じがいたします」と答えられた。これは弟さんの正直な実感だったと思う。
引き続き入江日記を引用する。
「昭和35年2月23日(火)快晴
4時15分親王ご誕生、御母子ともおさわりないとの事。これでよかった。本当に安心した」
「昭和36年8月11日
最近の奥のおかしな空気、東宮さまと妃殿下(現天皇、皇后)に対すること・・・・・・まったく弱ることばかり。下らなさに腹が立つが、そんな事話し合う」
「昭和36年8月16日(水)快晴
那須で東宮同妃から両陛下にいろいろのこの間からのことを十時すぎまで率直にお申し上げになったとのこと。お上はよく分かったと仰せになったが皇后さまは終始一言もお発しにならなかったとの事」
古い世代の貴婦人のプライドは「無視」という作戦をとられた。

これで言うと、浩宮さまがお生まれになって、しかし、奥ではやはり空気がおかしく、とうとう明仁皇太子と美智子妃は昭和天皇に直訴した。昭和天皇は「よく分かった」とおっしゃってくださったが、良子皇后は無視した、ということになる。
36年8月11日当時、入江氏はまだ侍従である。(この人の母方のじいちゃんと昭和天皇の祖母(柳原愛子)が兄妹の間柄、また三笠宮百合子妃は入江氏の姉の娘である)
下らなさに腹が立つと言っているから、大したことではないのであろう(つまり、侍従長の耳にいれておかなければならぬような話ではない、ということ)。
しかし、東宮と東宮妃にとっては、我慢ならないことだったのだろう。それを昭和天皇に訴えた。
渡辺帽子は完全に「美智子妃」の味方だが、入江氏はどう思っていたのだろう。

渡辺帽子は勝手なところだけ入江氏の日記を引用しているから、よくよく時系列でものごとを見ないとわからないが、実は「明仁美智子夫妻、那須で直訴」の前月、昭和36年7月23日に昭和天皇の第一皇女、東久邇成子さまがガンのためなくなっている。
良子皇后は照宮さまがもう助からないと聞いて、それでも奇跡を信じておかしな祈祷師にまですがられたと「陛下お脈拝見」の杉村医師が書いている。
照宮さまが息を引き取られた時には、もう涙も枯れてかたわらにぼんやりすわっておられたということである。
そのご心痛を癒すための那須行きであったはずで、そこへ夫婦して乗り込んで、侍従が「下らなさに腹が立つ」と言うくらいのことを、訴えるというのは、どうなのだろう?
いくら自分たちにとって重大事であっても、自分たちも子を持つ親となっているわけで、残された5人の小さい子たちの行く末、逆縁となった両親の悲しみ、そういうことを思いやらなかったんだろうか?
照宮さま、御年35才、おそらく心を残して逝かれたであろうその時からまだ1ヶ月もたっていないのである。
良子皇后はどんな想いで息子夫婦の訴えを聞いておられただろうか。




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考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
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