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がんばれ東宮職!
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入江日記より、皇后(香淳さま)ご還暦のお祝いの日

三月十日(日) 雪霙 寒

昨日と同じやうな天気。あんまり何遍も口上をやったら嫌になった。これ位やっておけばいいだらう。朝昼兼帯の食事をして出勤。丁度正午。二時十分から始まる。口上はなかなかうまく行った。三笠さんの王将もよかった。将棋の駒も喜んで下さった。浩宮さまのお可愛いことといったらなかった。一時間おくれて六時過ぎに終わる。三十分休憩の後お食事。茶巾寿司と鹿児島寿司、いろいろな肴おいしかった。おくじなどあって大さはぎ。9時半に終わり、あと軽く飲んで東さんに送られて永積さんと一緒に帰り入浴。まもなく入床。床の中で君子に色々聞かれるままに話してからいい気持ちで寝る。

御還暦御祝

皇后さま御還暦の時のつらね

 

月も朧に白魚の かがりも見えず大川の

水も濁って捕れねえが 毎年毎年三月の

六日となりやあほんのりと あつたけえ風が吹き出して

この日本に春が来る 今年はましておめでてえ

皇后さまの御還暦 めつたとはねえ年だから

せい一杯にやりてえが をどりてえのにをどれもせず

人の踊りの地の唄を うたはされるたあなんたること

こいつも浮世のつき合ひだから これからひと唄歌はざなんめい

 

 ※3月2日の日記には義宮御殿で西野さんと「春が来た」wの吹き込み云々とある。

 ※注解:この出だしは河竹黙阿弥作「三人吉三」大川端庚申塚の場のお嬢吉三の「月も朧に白魚の かがりも霞む春の空・・・」をもじっている。

 

 

  

香淳さま古希のお祝いの出し物は、春秋の間で荻江露友(前田青邨画伯夫人)さんの荻江節、三遊亭円生の落語「御神酒徳利」、その後、連翠でパーティー。

アーヤは春秋の間には行かなかったが、パーティー会場へ「ごちそうがあるお部屋はココッ?」と話しながら東宮侍従と一緒に入ってきた、とこの写真を撮った吉野専造さんの日記にある。

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さらに、香淳さまご還暦のお祝いの様子を入江日記から抜粋すると

皇后さま御還暦

お祝いする演芸会が皇居仮宮殿北の間で催され、天皇、皇后、ご兄弟、お子さま方、お孫さまたち、ご親族など六十余人が参加した。

総出演の形で三笠宮の独唱「王将」、皇太子、義宮、東久邇盛厚と鷹司、池田、島津三夫妻で謡曲「紅葉狩」、浩宮も東久邇のお子さんたちと歌と踊りに出演し(10人のインディアン)チューリップを皇后に差し上げたりした。

皇后も飛び入りで妹の大谷智子と「歌のつばさに」を歌った。

最後に天皇がバラの花を皇后にプレゼントされ、全員で奉祝歌を合唱して終わった。

東宮妃はご静養のため欠席された。

 

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この時の浩宮さまのご様子を入江はこう書いている。「浩宮さまのお可愛いいことといったらなかった。」

浩宮さまは、前月に3歳になられたばかり。

皆様が小さな子の仕草に目を細めていらした様子が手に取るようである。

平成はなぜ「未就学児は欠席が決まり」だの、「皇后の思し召し」で特別に悠仁さまご出席だの、ご挨拶がごきげんようだの、つまらないことをうるさく言うんだろう。

 

 

 

こうやって、自分が美しく見えることにだけ気をつけていたのねぇ、ってのが感想ですね。

皆さん、自然体で立ってらっしゃる、意識が(たぶん)香淳さまの方に行ってるけど、美智子さんは4割くらいは自分を見せるために気を使ってるかな?

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この10年前の香淳さまご還暦のお祝いはどうだったかというと(入江日記より)

3月2日  3月10日の皇后ご還暦お祝いのパーティーに東宮妃(美智子さん)が体調をくずし欠席されることとなった

3月4日  東宮妃ご懐妊と発表されたが、この1週間くらい前から体調が悪く衰弱が激しかった。

3月22日  御用掛の小林隆東大教授の診察の結果、処置することになった。

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ここまで書いて腹が立つのは

昭和は、東宮妃が具合が悪いからと良子皇后の還暦のお祝が延期になったりはしなかったし、東宮妃の欠席を誰も責めてはいないのに、平成は、何でも東宮妃のせいにされ、東宮妃が病気であることも「悪」とされていることである。

 

 

 

  

今週の週刊誌は、美智子皇后の喜寿の祝いを東宮御所で開いたニュースを載せていたが、その中でチクチクと雅子さまが療養中で引っ込んでいることに対して嫌みを連発しているのが特徴である。

だが、よく見れば、天皇皇后のお祝いは、東宮御所で多く行われているのがわかる。

それも、雅子様の具合が悪ければ、祝宴はなしで4年もたってから写真展だけになったり、延期になったり、いかにも「雅子さまのご体調のせいで」そうなったと言わんばかりなのだが、逆に言えば、「計画立案実行」という総合的な「企画力」「実行力」が東宮側にしかない、ということを露呈していることにならないか?

週刊新潮に

「もちろん古希の際も皇居における誕生日当日の公的な祝賀行事はありました。でも、すでに黒田家に降嫁されることになっていた清子さまは、皇太子殿下、秋篠宮と一緒に子どもたちとしてのお祝いをして差し上げたいと切望されていたのです。が、’04年当時は、すでに公務に出席できなくなっていた雅子さまの病状が清拭に適応障害だと公表された頃。清子さまとしては、長男である殿下に言い出してほしかったが、妻が参加できないことを恐れて殿下もなかなか言い出せず、結局、清子さまの発案で、4年後にご一家の写真展というお祝いができたのです」(宮内庁担当記者)

という記事があるが、

皇太子ご夫妻がリーダーシップをとる、というのは、一番いい形かもしれないが、嫁さんが病気なら、元気なものが動くというのもアリではないか?

自分の親の古希のお祝いでしょう?

形式なんかいいじゃないの。

だいたい香淳さまの還暦のお祝いの時、美智子さんは体調不良で欠席だったんだよ。

2011年5月25日「きれいなお嫁さま」(リンク)で書いたが、照宮さま、つまり東久邇成子さんは、降嫁して10数年たっていたが、新居にご両親(昭和天皇・香淳皇后)ご弟妹全員を呼ばれてパーティーをなさった。

娘の優子ちゃんが靴下のままでそとへ飛び出し、嬉しそうに新婚の美智子さんの手を引っ張っている写真(リンク)がある。

お料理はみんなの持ち寄りでセルフサービス

子どもたちのはしゃぐ声で、おたがいの会話も聞き取れないほどだった

昭和天皇が「めずらしいことをしたから雷が鳴ったね」と冗談をおっしゃった

サーヤも、子どもたちで母親の古希を祝いたい、嫁ぐ前の最後の親孝行としてというなら、これくらいのパーティー計画したら良かったのに。

誰も文句は言わないだろうし、手作りの古希のお祝いは、電通に丸投げの祝典なんかより、ずっと思い出として残ったと思うよ。

  

左  「素顔の昭和天皇」より 撮影・文 吉岡専造

5月14日 

皇后さまの訪問着は銀鼠という色か、光琳のカキツバタの屏風絵のような図柄だ。
(中略)
風が出てきて、皇后さまの和服の裾が乱れて困った。


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