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がんばれ東宮職!
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宮内庁HPには週刊誌記事の反論コーナーがある。
それをおじさんたちに話してやると「ヒエー」と言って苦笑する。
読み上げてやると「くっだらねー」と言う。
言っちゃ悪いが、週刊誌記事はあまり信ぴょう性がない、と思っているようである。
特に皇室記事に関しては、もともと信用していない。
皇族は反論をしないから、書きたい放題だ、とずっと思っているようだ。

まぁ、たいていはそう思っている。
ところが、先週の女性自身に出ていたように、今上陛下は、今から46年も前に、「私から答える」と自らご発言なさったくらいの方なので、現在宮内庁HPに反論コーナーがあるのは、「不思議なことではたぶんあるまい」(件のHP作成には秋篠宮妃のお父上がかかわっておられるとの噂もあるので、特にこの表現にさせてもらいました)。
今日も今日とて、サンデー毎日の記事に対して、文句がつけられたらしい。

まぁ、それは置いといて、 例えば皇太子殿下が「私が雅子を選んだ理由」などと女性自身に寄稿したら、大騒ぎになるに決まってるのだが、当時の宮中の反応はどうだったのだろう?

昭和40年、8月14日、入江日記は見事にスルーしているが(と言っても、それはわからない、記載されたものが全部活字になったわけではないから)、田島直治は日記に書いているようだ。

昭和39年9月、義宮様は津軽華子さんと結婚され、翌年5月には、三笠宮寧子様のお相手に近衛忠輝氏の名前があがる。
美智子さん以降、皇室は「民間妃」を入れなかったわけである。

昭和40年3月には、前にちょっと書いたが、東宮職の山田君が明仁皇太子に

一つ、人使いが荒いこと 
一つ、つまらない臣下のあらをとりあげないこと
一つ、孝養をおはげみになるべきこと
一つ、常陸宮さまと御仲良く遊ばすべきこと


と、諫言したというから、この夫婦、あんまり宮中で評判がよくなかったのかもしれない。
しかし、4月21日、「妃殿下よりお直にご懐妊(鯰殿下)のことをお申し入れ」とあるから、38年の3月、胞状奇胎で流産の処置をとられた後の妊娠で、一番のお仕事はちゃんと果たしている、という自信はあったかもしれない。
とにかくめでたいことだし、安定期に入った頃である。
ゆっくり静養していればいいのに、そのクソ暑い夏の日、女性自身の記事は出た。
8月14日、(8月30日号として)前日には池田勇人元首相がなくなっている。この人は大勲位正二位なので、入江がちょっとあわてている。

残念ながら、女性自身342号を持っていないし、読んでもいないので、先週号の要約に頼るのだが、ちょっと奇妙な感じがするのである。
「美智子妃のために皇太子がわざわざコメントした」というより、橋本というご学友のために自ら骨折ってやったという感じがまず先に立つのである。

明仁皇太子は、女性週刊誌を通じて、「美智子妃へ愛のメッセージを送った」と松崎の爺さんは言うのだが、どうしてどうして、田島道治の方はそれどころではないあわてようである。
皇太子が女性週刊誌にコメントを載せたことは、今聞いても驚くべきことだから、当時はもっとすごかっただろうと思うのだが、果たしてそれは「愛のメッセージ」だけだったのか?

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画像は右が先週の女性自身の松崎敏弥氏の記事、左が「昭和天皇と美智子妃 その危機に」(副題:田島道治日記を読む)加藤恭子著、監修は田島恭ニ(田島道治初代宮内庁長官のご子息)である。

<女性自身>
’64年9月、常陸宮様と旧華族・津軽家ご出身の華子様が結婚されました。そのご成婚にいたる過程で論争が起こったのです。
天皇陛下のご学友で、共同通信の記者だった橋本明さんは「(天皇陛下は)弟宮である常陸宮様のご結婚について、いっさい相談を受けなかった」と主張しました。
常陸宮様のご結婚相手は、旧華族たちが主導して決めたもので、選考に関して兄君である天皇陛下がごぞんじなかったというのは問題ではないか、ということです。
それに対して旧華族の女性が、「美智子様が、聖心の後輩たちを(常陸宮さまに)紹介されていたというお話も聞いていますし、ご結婚問題については相談を受けられていたはずです」と、反論したのです。
見かねた天皇陛下が、橋本さんを通じて、本誌に次のようにコメントされたのです。
《(美智子妃が聖心の後輩を紹介したという)この事実は無根の事実である》


<田島道治日記を読む>
「女性自身」の昭和40年8月9日号には「兄 弟/両殿下への提言」と題した記事が載っている。筆者は共同通信の記者で皇太子のご学友でもある橋本明。主旨を以下に紹介する。
<旧華族たちのあまりにひどい腐敗ぶりを知った皇太子は、みずからの信念で「旧華族からは妃を迎えない」と決めた。それなのに皇室の民主化の象徴である美智子妃がやせ細り、病気がちになられた事実は何を物語るのか。美智子妃が入られた皇室はイバラの世界であった。しかも、弟宮、義宮の結婚について皇太子は相談は受けず、義宮妃は旧華族出身になってしまった。皇太子のご結婚には両性の合意があったが、義宮と華子さんとの間に本当に合意があったのか>
皇后が話題にしたのはこの記事のことだろう。橋本に情報を提供したのは東宮職でないかと皇后はお疑いになられたようだ。
この橋本の記事に対して次号で、前田侯爵家出身で、酒井忠元旧侯爵に嫁いだ酒井美意子(学習院常磐会前理事)が反論。さらに8月30日号で、橋本は軽井沢のプリンスホテルに滞在する皇太子にインタビューを試みている。


田島日記を抜粋すると

8月14日 9:30~10:30 高輪閣。Her H.(皇后)女性自身の記事の出所。東宮職数人に存しとのこと
8月24日 女性自身一寸驚く・・・長官訪問 女性自身の問題

この他に8月20日、「田島さん来」と入江日記にある。

また、関係があるのかないのか、8月30日の入江日記に「病院に常陸宮をお見舞いし山田君を見舞って帰ってくる」という記述があるので、皇太子夫妻は2人目が生まれるというので軽井沢プリンスホテルでご静養、常陸宮様は新婚1年でご入院、兄弟仲良くせよと皇太子に申し入れた山田くんも病床にあったようだ。

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2つの記事を見比べてみて、やはり申し訳ないが、女性自身の先週号は、かなりはしょって「あたりさわりのないところだけを書く、あるいは書き換えてある」という印象である。
「結婚の相談をしなかった」ということなら、美智子妃入内に際しては、北白川肇子さんを紹介していた松平信子夫人が「全くのつんぼ桟敷におかれていた、もっと早く言って欲しかった」と入江に文句を言っている。
その30年後、明仁皇太子の長男や宮家の人々は、斡旋したのは天皇の次男夫婦だというのに、紀宮の結婚をニュースで知らされるというハメになったが、これは何かの意趣返しか?

美智子さんが義宮の結婚相手を斡旋したかどうかという論争に、皇太子自ら決着をつけるというのも、あまりに仰々しいと思うのだが、書かれていたことが「田島日記を読む」にあるような内容ならば話しは別である。

「旧華族たちのあまりにひどい腐敗ぶり」
「義宮と華子さんとの間に本当に合意があったのか」

この二つの事柄が書かれているなら、酒井美意子さんが代表して反論する理由は十分にある。
香淳皇后が「犯人探し」をしたのも、また、当たり前のような気がする。
GHQの命令で天皇と直宮だけ残して、華族制度は消滅した。
皇室の藩屏として華族は華族でプライドを持って、皇室の繁栄のために存続する努力をしてきた。
そりゃぁ、いいことだけではなかろうが、いきなり「これからは自己責任」と放り出されたのだ。
その苦労は並大抵のことではなかっただろう。
その上、戦後20年もたって、皇太子自ら「女性週刊誌」に

「上流旧華族以上の家から、妃をとらないとしたことは、遺伝的な考慮ばかりでは決してなかった。
国民と共に考え、共に生きる伴侶としての人を求めていた。これは旧華族上流以上には、求められない姿であった。現在、美智子妃の、常に日本国民のことを考え、自分のつとめに忠実たらんとしている姿をみて、この自分の考えが間違っていなかったと感じている」


と「お答え」になっているのである。
何のしがらみもない私だが、「こんなに簡単にひっくくって、腐敗だの、皇太子妃としてはペケなんて、ひどいじゃないか」とご同情申し上げる。
本当に、軽率としか思えない。
いくらなんでもこれは(旧華族とその出身である華子妃に対し)無礼であり「名誉毀損」である。

別のご学友藤島泰輔が書いているのだが、だいたい、美智子妃は明仁皇太子の言う「上流」に入る人である。
「平民」と「庶民」を混同してはいけない。
美智子妃も華子妃も結婚が決まった時、各デパートは色めき立った。
お仕度のご用命を得ようと、まず外商が帳面(古いけれどもこういう言葉を使っていたらしい)を調べる。
一流どころの各デパートには「正田家」はちゃんと「上お得意」としてあがっていたが、津軽家はどこにも名前がなかったそうである。
あるデパートで、学習院出身の社員が、華子様と初等科で同級だったというのがいて、そのつてでようやく挨拶に出向いて、お仕度の手伝いをさせてもらったということだった。
婚約されてからのことであるが、デパートに出向いて、自分の服を調達するのにも、美智子妃、華子妃、それぞれ、普段の生活が見えたそうである。
美智子さんはデパートの既製服のところなど、見向きもしないが、華子妃はお誂えになるものの他にも、吊るしてある既製服をごらんになって、何点かお買い物されたそうだ。

明仁皇太子が嫁選びを始めた頃は、「平民の上流」と「華族の庶民」がいる世の中で、どだい「上流旧華族」と「平民」でくくるのは、考えが浅いとしか言いようがない。
百歩譲って明仁皇太子がそう考えていたとしても、こんな女性週刊誌に自ら意見を述べるなど、やらでもがなのことである。
だいたい、新婚の弟と弟の嫁さんに対して、失礼ではないか。
もっと言うなら「傲岸不遜」である。
側近に「兄弟仲良くせよ」と言われるはずである。

橋本は平成になってからは、現皇太子と雅子妃を叩いているが(あまつさえ離婚だの廃太子だのを「ご提言」している)、今上天皇皇后両陛下は、何ゆえこのご学友に自ら便宜をはかってやるのか?
橋本はこの時共同通信という記事配信会社の社員である。
それが女性自身に書いたということは、本業でなくアルバイトである。
明仁皇太子は、ご学友のアルバイトに手を貸してやったということになる。

美智子妃をかばってやったつもりなのかもしれないが、わざわざ、敵を増やしただけ、というお粗末なことになってしまっている。

というより、やっぱり、取り巻きが悪いんじゃないかしら?
  

美智子さんって、言われるほど「苛められてはいないんじゃないか」と、しつこく書くのは、「華やかなシンデレラ物語」に「オキャワイソー」路線をくっつけて、「皇室もの売らんかな」のマスコミ商業主義の戦略だったのではないか、と思っているからです。
そして、それはまんまと成功したかに見えた。
というのは、調子にのってやりすぎた人がいたから。
思惑どおりにやるのは難しい。

美智子さんが、マスコミ報じる美智子像に自分を創り上げていくことで、ある種の安心感と宮中での立場を強固にするための道具に使っていた(ご自分ではもしかしたら自覚されていなかったかもしれないけれど)のは確かだと思いますが、ちやほやされているうちに、諸外国には「名代」としておいでになっていたことを、お忘れになったのではないかと思います。

以前、このブログにいつもおいでくださっているトルコ石様に教えられたことがあるのですが、ヨーロッパにはいまだ「昭和天皇=日本のヒットラー」のイメージを持つ人がいるそうです。
イギリスでは「先の大戦」より前、第一次世界大戦のメモリアルデーに、亡くなった人々を偲んでポピーの花を身につける習慣があるとか。
戦争の記憶は、日本人のように「軍部がやったことだかんね」「平和憲法作ったもんね」では収まらないことがあります。
この点で皇室外交はちょっとミスったと私は思います。
「とにかく、良子皇后さまにはヨーロッパにおいでいただかなくては」と昭和天皇・香淳皇后を渡欧させるために、勢津子様や喜久子様が奔走なさったそうですが、それは一度も外国へ行ったことがないから、という理由だけではなかったのではないか?

トルコ石様のお話にそんなことを思いました。

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上の写真は、昭和34年9月です。
おつきの人にバッグを渡す美智子さんの自信に満ちた顔。
「良子皇后のお母様、久邇俔子様の三年祭」ですよ?
美智子さん入内の後も、香淳様一派がことあるごとに皇太子妃に嫌がらせをしているなら、これ、絶好の機会ですw
でも、入内後は皇太子妃として、それにふさわしい礼の尽くされ方をされていたと思いますよ。
通りすがりさんのご意見のように「次期天皇になる方が軽んじられている」なら、こんな顔はしてませんって。

ま、これも「女の勘」ですけどね。





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某掲示板で知り合って、メールをやりとりするようになった仲良し?人組です。
考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
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