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がんばれ東宮職!
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即位礼の時、いっぱい作ったから(新品っていいものよ)。

御長袴(おんながばかま) 紅色*精好(せいごう)、裏も表と同じ**「引き返し」仕立。

 *精好(せいごう) 袴の生地の一つ、経て(たて・縦糸)よりも緯(ぬき・横糸)を太くして横に強い張りをもたせた

 **「引き返し」仕立 表の生地を丈の二倍にとっておいて、裾までの寸法以外の生地を裾からその内側にまわして裏とする。

御単(おんひとえ) 紅色。文様は幸菱(さいわいびし)、織りは地文をくっきりと見せるために地の糸を固く締めて織る「固地綾」 

御五衣(おんいつつぎぬ) 重ね色目「紅の匂(くれないのにおい)」。五衣の表地の色は五枚とも紅色ですが、それぞれの裏の平絹(へいけん)の紅色が重なるに従って濃くなってゆくことから、この単色によるグラデーションを「匂(におい)」と表現する。文様は五枚とも「松立涌(まつたちわき)」の地文。材質は、表地が固地綾、裏地が平絹。

御打衣(おんうちぎぬ) 深い紫色。地文のない綾織物、裏は表の色と同じ紫の平絹。

御表衣(おんうわぎ) 白の縦糸に薄い萌黄(もえぎ)色の横糸で三重襷(みえだすき)の文様を浮織物として、さらにやや濃いめの萌黄色の横糸で「白樺の丸」を上文(うわもん)とした二倍織物(ふたえおりもの)。裏は上文と同じ萌黄色の平絹。白樺の丸は、皇后陛下のお印「白樺」に由来する。

御唐衣(おんからぎぬ) 白、表地は小葵を浮地文に紫色の向鶴(むかいづる)の丸を上文とした二倍織物(ふたえおりもの)。紫色の小菱文の固地綾(かたじあや)を裏とする「菊の重ね」。上文の向鶴は根付きの小松を中心に左右二羽の鶴が向かい合ったもの、くちばしには松の小枝をくわえている松喰鶴(まつくいづる)の図案。

御裳(おんも) 大腰と引腰は白色か(穴かんむりに果)に霰文(あられ)の浮織物、白色小菱文固地綾を裏とする。引腰には五色の糸で「山道」という飾りをつけ、それに松の木を刺繍している。また大腰にも五色の糸の指し飾り。小腰は表裏とも唐衣(からぎぬ)と共裂(ともぎれ)で、これにも五色の糸の上指し、八幅(やはば)の裂(きれ)は白色で三重襷文固地綾、地摺り(じずり)によって松と鶴の文様が描かれている。

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左から二つ目

御単 紅色で幸菱文の固地綾

御五衣 紅色で松立涌地文の固地綾、御裏は紅色の平絹、比翼の仕立て

御表着 白色で杏葉(きょうよう)に鶴の浮文の浮織物、裏は蘇芳色の平絹

御小袿(おんこうちき・高倉流ではころもへんに卦) 青色で三重襷の地文に白鶴の丸を上文とする二倍織物、御中倍(おんなかべ)は薄色(薄紫のこと)、御裏は紫色の平絹

御長袴 紅色の精好織り 

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右から二つ目

帛の十二単(はくのじゅうにひとえ)

現在の帛の十二単は、江戸時代に女帝が神事にお召しになったもので、皇后陛下の儀式服としては、大正の御大礼から制定になった。

お髪は大垂髪(おおすべらかし)、櫛は銀の沃懸地蒔絵無文(いかけじまきえむもん)、、釵子(さいし)簪(かんざし)ともに銀、檜扇は白木で三十九枚、これに白糸を蜷結(になむすび)とした飾紐がつき、要は銀の蝶と鳥の形。

単・五衣・打衣・表着・唐衣はすべて白の平絹、裏のあるものはその裏も表と同じ白の平絹。また裳については、大腰・引腰・小腰んどはやはり表裏ともに白平絹で白糸の上指しがあり、八幅の裂(きれ)だけが生糸(きいと)を使った白の生(きの)平絹。長袴だけは、生地は表裏とも平絹で他の同じだが、ほんのりとした薄紅色。 

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小袖の上に「長袴」・「単」・「小」、「檜扇」・「釵子」のお姿。

御小 白色、「白樺」を上文に配した二倍織物(ふたえおりもの)。お印にちなんだ「白樺の御小袿」

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♠ 出ましたっ!白樺!
あけおめ!
昨夜は何を書くのかなとわからなかったけど。
「白樺」!
この木、痩せ地に生えて薪にしかならなかったんでしょ。
でも美智子さんのおかげで出世したよねw
Rosa wichuraiana 2013/01/07(Mon)12:17:58 編集
♠ 貞明皇后は「藤」
貞明皇后の即位の礼での御表衣。
ご実家九条家の文様の「藤」を上文としています。
前例に倣って、ご実家の文様を使うといっても、家の文様をお持ちなのは、皇室と旧宮家、ごく一部の大名家や公家に限られます。
雅子様の時も、お印ということになるのでしょう。


遅ればせながら、
明けましておめでとうございます。

装束の本を出版している八条氏の資料を参考にしました。

グラス 2013/01/07(Mon)21:31:54 編集
♥ Re:貞明皇后は「藤」
おめでとうございます。
今年こそはお手柔らかにお願いいたします。
>

>装束の本を出版している八条氏の資料を参考にしました。

仙石氏は最重要なのは「色目」だと言っています。
そして貞明皇后の即位礼のために調進された十二単の「色目」は昭和三年、日本の歴史上初めて御帳台に立たれた香淳皇后に受け継がれたようです。
貞明皇后の十二単とまったく同じ「色目」だったそうです。
1/3管理人  【2013/01/07 22:46】
♠ グラスちゃん!
オバちゃんたちにいじくられ、苛められるのがお好きなのね。
オバちゃんとイケメンは水と油・・・ではなく大歓迎!
じゃぁグラスちゃんはブサか(イケメンであっても)性格ブサか?
私、頭が悪いせいかグラスちゃんの文章を60%読解できません。
だからこんな馬鹿な事しか書けません。
こちらの才媛のご婦人方に今年も論破されても怒らないでくださいね。

それから、上方では女紋があってそれは
女、代々引き継がれます。
>ご実家の文様を使うといっても、家の文様をお持ちなのは、皇室と旧宮家、ごく一部の大名家や公家に限られます。

皇族の方はどうなんでしょうね。
調べて頂けると嬉しいですわ。
花催い 2013/01/08(Tue)00:39:45 編集
♠ 年齢の違い
>仙石氏は最重要なのは「色目」だと言っています。
そして貞明皇后の即位礼のために調進された十二単の「色目」は昭和三年、日本の歴史上初めて御帳台に立たれた香淳皇后に受け継がれたようです。
>貞明皇后の十二単とまったく同じ「色目」だったそうです。


十二単は、どんな色をどのように組み合わせるか、重ねるか。
使われた色目と、その重ね方、かさね色目も大事でしょう。

貞明皇后と美智子皇后、使われた色目はまったく同じですよ。
神聖な色、女性天皇即位の際、白の十二単であったことから即位の礼の皇后の十二単にも取り入えられたとされる白。
高貴な色とされる紫。
祝儀の際に使われる紅。
十二単でお馴染みの萌黄。

そして、かさね色目には、「何枚も重ねる襲ね色目」の他に、
「表裏のかさね」「縦糸と横糸の色を違えることによるかさね」があります。

美智子皇后の御表衣は、白の縦糸と薄萌黄の横糸を織り込んでいるかさね色目。
御五衣は紅の匂でグラデーションをつけている。

貞明皇后の御唐衣の上文は紅と萌黄の2色使いで明るくかわいらしい感じです。
また、御五衣は美智子皇后が表と裏同じ紅であるのに対し、紫。
全体に明るくはっきりとした色調です。

大正の即位の礼は、大正4年で明治天皇崩御の約3年後です。
昭和の即位の礼は、昭和3年で大正天皇崩御後ほぼ2年。
平成もほぼ2年後ですが、平成2年と、昭和天皇崩御の翌年であること。
貞明皇后や香淳皇后が非常にお若い年齢であったのに対し、美智子皇后は50代。
慣例では、色目を変える年代であることから、変えられたのでしょう。
全体の色彩は抑え目に御五衣のグラデーションでお祝いに相応しい明るさを演出しているように思いました。
グラス 2013/01/08(Tue)02:31:57 編集
♥ Re:年齢の違い
>>貞明皇后の十二単とまったく同じ「色目」だったそうです。
>
>貞明皇后と美智子皇后、使われた色目はまったく同じですよ。

そうは思わないですね。
香淳さまの十二単の詳細がないので、何とも言えませんが、私は、一つ違う色目に注目しているのですが(美智子皇后のこだわりではないかと思っています)、その話は悠ちゃんの着袴の話まで取っておきましょう。
とりあえず本(かな?)を読んでくださってありがとうございます。
皇太子妃御成婚のところで、着物の色を出して強弁された時には、はっきり言ってまいりました。
雅子妃殿下のクチナシの文様を「雅子は婚約会見の時にしゃべりすぎたから、戒めのためにクチナシの十二単を着せられた」と書いてきた阿呆がいましたが、そこまでひどくないものの雅子妃殿下は皇太子妃にふさわしい十二単で婚礼をあげられたという話までいかないだろうと思って、その話題は放擲することにしたのです。

ご存じでしょうが、禁色というのは色だけでなく重ねも文様も入ります。
唐衣と裳に適用されます。
クチナシは皇太子の着用する黄丹袍を染めるために用いられる植物なので、その文様が禁色となっています。
今は法として機能しているわけではないのでそれを使ったからと言って罰せられるわけではありませんが、美智子皇后がご自分のお印を文様になさった、ということは、Rosa wichuraianaさんが言う「白樺は出世した」もあながち間違いではないのではないでしょうか?
むしろ知らないで書いたその「意識」は、連綿と続いてきてどこかにそういう刷り込まれた記憶から出たもの、そういうものが皇室話には積み重ねられている。
台所は、お勉強の場ではありませんが、理論的に裏打ちされた知識と日本人としての意識とが皇室話でないまぜになる所、そんな楽しみを見いだせるところでもあると思いますし、極力、そういう場であるよう心がけていきたいと管理人としては思っています。

>高貴な色とされる紫。
>祝儀の際に使われる紅。
>十二単でお馴染みの萌黄。
>貞明皇后の御唐衣の上文は紅と萌黄の2色使いで明るくかわいらしい感じです。
>また、御五衣は美智子皇后が表と裏同じ紅であるのに対し、紫。

>大正の即位の礼は、大正4年で明治天皇崩御の約3年後です。
>昭和の即位の礼は、昭和3年で大正天皇崩御後ほぼ2年。
>平成もほぼ2年後ですが、平成2年と、昭和天皇崩御の翌年であること。
>貞明皇后や香淳皇后が非常にお若い年齢であったのに対し、美智子皇后は50代。
>慣例では、色目を変える年代であることから、変えられたのでしょう。
>全体の色彩は抑え目に御五衣のグラデーションでお祝いに相応しい明るさを演出しているように思いました。

また仙石氏で恐縮ですが、十二単に年齢での決まりというものはそれほど強くないそうです。
貞明皇后、大正天皇即位礼の時、御年29歳、第4子(三笠宮さま)をご懐妊中でした。
年齢に対する意識の差はもう少し高かったと思いますので、美智子皇后が年齢のことを考えて少しお地味になさったということはあったかもしれませんが、他にも理由があったのでは、と言う気がして本を読んでいます。

ともあれ、知識の受け売りだけでなく、「おしゃべり」の楽しみに寛容であっていただきたいと願っております。
宜しくお願いいたします。
1/3管理人  【2013/01/08 10:09】
♠ グラスさん!
お互い皇室ファッションの知識にあかるくないのだから、あなたは東宮ご一家をいじめる勢力やらなんやらを話してくださいな!

皆さまあけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
みすず 2013/01/08(Tue)14:26:40 編集
♥ Re:グラスさん!
>お互い皇室ファッションの知識にあかるくないのだから、あなたは東宮ご一家をいじめる勢力やらなんやらを話してくださいな!

そう言えばグラスさんは「東宮ご一家をいじめる勢力やらなんやら」についてはっきり存在を肯定しておられたけれども、それについて詳しいことを(グラスさんのご迷惑にならない程度に)お書きになっておられず、みすずさまから質問が出ていたのでしたっけ?
年末のお仕事でお忙しいご様子で、不完全な形のままでした。
私も知りたいですね。
1/3管理人  【2013/01/08 16:20】
♠ 雅子妃殿下は皇太子妃にふさわしい十二単で婚礼をあげられたのではありませんか?
いつもおしゃべりに水を差すようで申し訳ありません。


>皇太子妃御成婚のところで、着物の色を出して強弁された時には、はっきり言ってまいりました。
雅子妃殿下のクチナシの文様を「雅子は婚約会見の時にしゃべりすぎたから、戒めのためにクチナシの十二単を着せられた」と書いてきた阿呆がいましたが、そこまでひどくないものの雅子妃殿下は皇太子妃にふさわしい十二単で婚礼をあげられたという話までいかないだろうと思って、その話題は放擲することにしたのです。

なぜですか?
雅子妃殿下は皇太子妃にふさわしい十二単で婚礼をあげられたのではありませんか。
私は「十二単のはなし」を読んでいないのでどのように書かれているか分かりませんが・・・


雅子様の唐衣、私は若緑ではないか・・・と書きましたが、実際の色目は青色です。
そのことに触れていませんか?
グラス 2013/01/08(Tue)19:50:19 編集
♥ Re:雅子妃殿下は皇太子妃にふさわしい十二単で婚礼をあげられたのではありませんか?
>雅子様の唐衣、私は若緑ではないか・・・と書きましたが、実際の色目は青色です。
>そのことに触れていませんか?

6月だから夏物、着物の色が云々という話だったので(私は着物と十二単と分けていますし、十二単の色の呼び方も独特なものがありますしね)。
青色とひと口に言いますが、私は「青丹よし奈良の都は・・」の青丹の色ではないかと。
この歌の青丹もいろいろ解釈があるようですが、皇太子さまの黄丹との対でこの色が選ばれたのではないか?
黄丹を染めるクチナシといい、青丹(勝手に決めてますがw)といい、皇太子殿下の夢がかなった日にふさわしいお衣装かと。
まぁ、そんなことを諸々話が進むと思いました(ここのメンバーなら)。
奈良は青丹の産地とか。
そして大宮人のあこがれの色でもあった。
ただ、困ったことに実際の青丹はRGBやCMYKで表すとちょっと違う色になりますね。
また青丹は顔料の類ですから、塗りつけることは出来ても染めることはできない。
当時はどうやって染めたんだろう、いろいろ疑問が湧いてくるわけです。
ただ、その前に今の着物の色や平安時代からさまざまにセンスアップされてきた「色目・重ね」の違いについて、まずグラスさんと私の認識の差を明らかにしないと先に進まないな(グラスさんは色名にこだわっておいででしたからね)と思ったので、その面倒を私が嫌ったということです。

>雅子妃殿下は皇太子妃にふさわしい十二単で婚礼をあげられた
はい、そう思います。
雅子妃殿下は皇太子妃という地位もありますが、紀子さんに比べるとはるかにリキの入った立派な装束。
仙石氏もこのクチナシの文様の青の唐衣の見事さにタメ息が出るとおっしゃっています。
1/3管理人  【2013/01/08 23:17】
♠ もういいのでは
現在皇室には、成年になられた姫宮が、5方いらっしゃいます。その方に陛下の付き添いをしていただいたら、陛下の公務も俄然華やぎますよ。花の盛りのお姫様ばかりです。特に承子様など如何でしょうか?皇后さまがいかに絶世の美人であられても、遠い遠いとおーい昔昔の話です。いまは78歳のお婆さんにすぎません。78歳と言えば正田富美子さまがなくなられた歳のように記憶してますが。皇后さまどうかそろそろゆっくりゆったり老後をお過ごして下さいませ。あんまり出しゃばりすぎるから雅子様も遠慮なさっているんですよ。あたくしでなければと、思っているなら、認知症の始まりですよ。陛下だってわたしが病気の時には、皇太子、秋篠宮がいるから大丈夫とおっしゃってますよ。皇后さまもあたくしが、あっちこっち痛い時は代わりが一杯いるから大丈夫でございますわと言って下さい。あと女性宮家を創設していただいて清子に戻ってもらうから大丈夫でございますわ。とかね
山桜 2013/01/09(Wed)01:23:27 編集
♠ グラスよりマイトレーヤのほうが面白かったなあ
勤勉なほどに、お台所で奥様方に持論反論を続けているグラス君は、
ある意味、皆の会話の幅を広げており、調べ物をしてみようというきっかけにもなり、
台所にはなくてはならない存在になってきているような気もしてます。

ただなー、グラス君の反論やディべートってつまらないんだよね。

昔、マイトレーヤことオウムの「ああいえば上祐」が、テレビで、
ディべートをしていた時には、もっと面白い部分があった。

確かに、オウム真理教がやったことは異常で残虐な犯罪なんだけど、
その教団にかなり優秀な頭脳や、真面目な人間が入信してしまったきっかけが、
「日本の日常への疑問」「日本の暗部への疑問」だったんだよね。
「日本はアメリカの属国なのか?」「物質的な繁栄だけ享受して良いのか?」とかね。

上祐は、当時、オウムの犯罪の全貌は知らないでいたようで(薄々は知っていた)、
だから、反論している事には、一定の理があった。
「うちの教団員は、コンパスを持っていただけで、その針が凶器だと言う事で警察に連行された。そんなの許されるのか!」
「我々の施設の頭上にしばしばヘリコプターが飛んで監視している、それはCIAが関連しているものかもしれない」
とかね。

日本人が「うっ」となる、見ないふりをしている事を言っていたんだよね。

そもそもが、大勢の目前でオウム幹部の村井秀夫が刺殺された事情が、今もって解明されないし、日本の警察も解明する気が無い。

そして、アメリカに売りつけられたプルトニウムで原発が推進され、自民党はこれからもその路線を変更する気は無い。
「美しい国」と国粋主義を気取りながら、安倍政権は、アメリカの犬であり続ける。

「ああいえば上祐」が言っていた事は、何かの痛い真実を内包した詭弁だったから面白かった。
でも、グラス君がグダグダ言い続けていることには、「真実から目をそらすための時間稼ぎ」だから、ぜんぜん面白くないんだよ。
ルビー 2013/01/09(Wed)12:28:13 編集
♠ みすず様
遅くなってすみません。
ひと口で説明できることではないので、今いろいろ考えながらまとめています。
その前振りといってはなんですが、深く関係する話を幾つか書き込むことにしました。
まずそれを読んで頂ければと思います。

それから、十二単の話も無関係ではありません。
これから、本題に入りますので是非読んでください。
グラス 2013/01/13(Sun)16:05:27 編集
♠ イスラム教の矛盾とヨルダン王室の悩ましい問題
ヨルダン王妃はユニセフ親善大使(著名児童地位向上擁護者)として子供の地位向上のために努めている。
それには、
イスラム圏で、日本の小学校高学年に相当する女子を嫁がせる慣習があり、未だに低年齢の女子の結婚が法律で認められている。
女子の教育が軽視され十分な教育を受けられない状況が根強くある。
といった子どもに関わる問題があること。
それは、預言者ムハンマドが受けた神の啓示、イスラムの教えの中に、女性は愚かであるといった記述があり、男性が保護すべきといった考えがある。
その考えから、ムハンマドは10歳に満たない女子を妻に迎えていて、女子の早婚は善行と認識されてきた。
こうしたイスラムの教えに基づく慣習を変えるには、イスラム教の教主的な存在である王室が先頭に立ち、率先して行わない限り難しい。
という事情があるからだと思われます。


ヨルダン王室は先代から積極的に民主化、近代化を進めてきました。
しかし、民主化は、これまでの部族社会によって恩恵を受けてきた部族の既得権益を侵害するもの。
近代化はこれまでのイスラム教のあり方を大きく変えるもの。
地方を支配してきた部族や守旧派の反発があるようです。
王妃は、パレスチナ人で高学歴、シティバンクに勤務していた職歴があり、才媛という評判。
ヨルダン王室の民主化、近代化の象徴的な存在です。


アラブの民主化運動が激化した最中、「ヨルダン王妃は浪費家」という批判がこれまで王室を支持してきた部族からあったことは日本でも報道されました。
ご実家のことや王妃の40歳の誕生日を盛大に祝ったことに対する批判もあったとか。
どっかで聞いた話です。
旧来の部族社会にとって王妃の実家は新興勢力。
自分たちの既得権益を脅かす存在です。
アラブの混乱に乗じて王室批判が行われたということですね。
国王はムハンマドの末裔。
国王や王室に対する直接的な批判はしにくい。
国民の共感も得にくい。
浪費という国民のねたみを買うような理由で、王室の民主化、近代化という改革の象徴、王妃を叩く。
王妃はスケープゴートにされたのかもしれません。


グラス 2013/01/13(Sun)17:51:45 編集
♠ グラスさん 了解!
肝心なところは書いてくださいよ。やんわりお書きになっても想像するように努めます。私があなたの発言で一番腹立たしいのは、東宮ご一家をおとしめていることろ! あとはどうでもいいの!
P.S.管理人様 PCご復帰おめでとうございます。
みすず 2013/01/13(Sun)17:55:58 編集
♥ Re:グラスさん 了解!
>P.S.管理人様 PCご復帰おめでとうございます。

有難うございます、と言いたいところだけれども、まだ復帰していません。
この「台所」は画像つきを基本としているのですが、そのためには、古いPCの置いてあるところ(2階)へスキャナなど周辺機器を持ち込むか、古いPCを下ろすか、どちらの案も来週PCが修理から戻ってきたらまた重労働をやらなくちゃいけないので、我が身(これが一番重い)を2階に運んで、チョコチョコ書き込みだけはしています。
周辺機器はわりにポイポイ捨てるんですが、PCは思い出画像を整理整頓してから、と思いつつまだやれてない体たらく。
初代マック(アメリカで学生用は安く手に入った時代、留学生に頼んで船便で持ってきてもらったものです)と次の日立はさすがに捨てましたが、98から取ってあります。みんな動くので(遅いのが気に入らないのですが)時々メンテ代わりに使いますw
1/3管理人  【2013/01/13 19:32】
♠ 照宮様の婚儀の唐衣、上文は「梅」
八条氏の資料には、明治以降の婚儀の際のお妃方の装束についての詳細があります。
唐衣の上文。
照宮様・・・・・・梅
昭憲皇太后・・・・藤
久邇宮朝融王妃・・裏菊
秩父宮妃・・・・・三つ葵
高松宮妃・・・・・三つ葵
朝融王妃は伏見宮家出身。
資料には特に説明はないのですが、照宮様はお印、他の方々は、ご実家の家紋ということですよね。
明治になって禁止されるまで、公家や大名の中には、袍の文様に家紋を使うということがありました。
それに倣って女性も男性の袍にあたる唐衣の上文に家紋を使う慣習があったのでしょうか。

ところで、香淳皇后の婚儀の唐衣の上文は葉つき菊。
美智子皇后の婚儀の装束とは全く違います。
グラス 2013/01/13(Sun)17:57:00 編集
♠ グラスさん! 追伸
私の質問は、

質問1)11月17日「 ジェラシー(メイ様 wrote) 2011/01/16記事」のところでコメントなさった
「(略)こうした皇室の公務のあり方に反対する勢力がある。」 (11月18日)の勢力とはなんですか? 具体的に教えて下さい。だれなのですか? それとも団体ですか?

質問2)12月4日「過去は変えられなくても未来のための準備はできる」のところでコメントなさった
「(略)皇室を陰で支える皇太子妃を監視しバッシングすることで、現皇室を衰退させようとする動きがあること。」 (12月18日)だれが衰退させようとしているのですか?

ですよ。
みすず 2013/01/13(Sun)18:17:41 編集
♠ グラスさん 追伸2
お互い切れ切れにコメントしてるので、私への質問へのコメントがすべて終わりましたら、お答えすべて終わりましたと最後に一文つけてくださいませ。
みすず 2013/01/13(Sun)19:28:44 編集
♠ グラス様、あるアメリカらしきサイトにヨルダン王室についての記事が出ていました
以下がそれです。興味があればお読み下さい。尚、当方、英語は苦手です。無責任ですけれど。これがアメリカのヨルダン王室に関する見解だと思われます。
http://www.theatlantic.com/international/archive/2013/01/will-jordan-be-the-first-arab-monarchy-to-fall/266897/
ウィルヘルミナ 2013/01/13(Sun)19:52:05 編集
♠ レアメタルからお印まで
>ヨルダン王室は先代から積極的に民主化、近代化を進めてきました。
>しかし、民主化は、これまでの部族社会によって恩恵を受けてきた部族の既得権益を
>侵害するもの。

「上からの改革を行い」「啓蒙君主」であるために、平成において日本の皇室は大きな役割を果たしており、そのため、秋篠宮殿下は博士号も取ったのであり、眞子さまはハーバード大のようなリベラルアーツ教育を受けるためにICUを選ばれた。
また、皇室は中国がレアメタルを輸出しなくなった時にもそなえて、物質の先端研究もなどのもお忍びで支援している。天皇ご一家は、まさにサンダーバード並みの活躍をしている。
そのため、既得権益を持った旧勢力などの、敵も多いのだ。

っていう説を、2年くらい前にグラス君はしていた気がするな−。
で、「じゃあ、つくばサイエンスシティと皇居の地下は、リニアモーターカーで結ばれているのか? だから、公務の合間にも、先端研究ができるのか?」
って聞いたら、「そこまで考えていませんでした」って、答えていたんだよね。
この時は「敵」はなんだと言っていたかなあ。忘れてしまった。

なんかね、「皇室を叩くために皇太子妃をスケープゴード」に追い込む「悪の組織」がいるっていう話を、繰り返し、繰り返し、グラス君は話し続けてきたよね。
グラス君の説では、敵は「奥と言われている侍従職が怪しい」と言っていた時もあるし、「中国と繋がった勢力」と言っていた事もあるし、「コミュニスト」と言っていた時もある。その時は確か、ネパール王室を例に出していましたっけ。

今回のヨルダン王室の話も、デジャブ感が漂いまくります。

まあ、「侍従職のような官僚」と「コミュニスト」が繋がった悪の組織の親玉という例えは、「岩井克己」にぴったりな表現だから、グラス君は、図らずも真実を言っているとも言えるけど。

最近は、つっこまれるのを恐れて、「敵」の正体を暗示することすらできない、だから、みすずさんの質問にも答えられない。

でもね、「何かを守りたい情熱」「日本の矛盾点への憤り」みたいなものが、グラス君には、マイトレーヤ(ああいえば上祐)ほどもない。
だから、ディべートとしても、つるつると上っ面の言い訳と、半端なウンチクを、薔薇の育成、短歌、晩餐会の席順、リベラルアーツ教育、レアメタルの輸入問題、お印、ヨルダンの民主化、等々と語り続けていて、「つまらないなあ、胸を全く打たない」と思う。「まあ、不毛な語りを良く続けるもんだわ」と勤勉さに敬意を表する部分はあるわよ。
ルビー 2013/01/14(Mon)00:36:15 編集
♠ 赤色、青色、紫色の唐衣 美智子様は即位の礼の宮妃の装束
>6月だから夏物、着物の色が云々という話だったので(私は着物と十二単と分けていますし、十二単の色の呼び方も独特なものがありますしね)。

後出しで申し訳ないのですが・・・。
「6月は夏の着物」と最初にコメントしたのは、宮中装束について調べていて、八条氏の資料も読んでいたからです。
雅子様の装束は夏物で織り糸の違い、打ち衣の裏無しも知っていた。
着物の知識だけでは流石にコメント出来ませんよ。
これまで、あいまいな表現に留めたのは、管理人様が
[袴地は雅子さまのものより上等ですし、裾の飾りの縫い取りを見る限り、作りも美智子さんの方が手がかかっています。]
と書き込まれたからです。

[雅子妃殿下は皇太子妃という地位もありますが、紀子さんに比べるとはるかにリキの入った立派な装束。
仙石氏もこのクチナシの文様の青の唐衣の見事さにタメ息が出るとおっしゃっています。]
そうなんですよね。
ところが、雅子様の装束が格の高いものであることには触れず、袴が美智子皇后のものより劣ると断定された。
袴だけ質を落とすことはありませんから、雅子様の装束自体低く見ているということです。
十二単の本を読んでいる筈なのに、雅子様の装束を高く評価しない、高く評価したくないという風に感じられた。
だから、いろいろ探るようなことをしました。


私の考えすぎだったようですね。
美智子様の装束は香淳皇后の婚儀の装束だと聞いた。
そして、その装束には謂われがあるのではないかと思っていたのですね。
家紋のところでも書きましたが、まったく別ものですよ。


>(グラスさんは色名にこだわっておいででしたからね
私が色名にこだわったのは、宮中装束で青色といえば天皇の普段着の袍の色を指すからです。
上皇の袍の色・・・赤色と青色は江戸時代まで禁色。
最もこの2色は、
青色・・・天皇の許しを得た者は青色の袍や青色唐衣を着られる。青色唐衣を許されたのは、典侍。
赤色・・・十二単には、紅という別名で使用可能。赤色(紅色)唐衣は入内の際の装束とされた。
男性の束帯の袍の色目が重要であるように、女性の装束も唐衣の色目が重要。
だから、十二単で赤色唐衣、青色唐衣は特別なもの、高位に属する女性しか許されなかった物です。
戦前で青色唐衣を着たのは、秩父宮妃。
明治、大正、昭和の皇后は赤色唐衣です。
美智子様の唐衣は紫。
唐衣の文様や表衣の色目と文様など装束すべて、即位の礼の宮妃の装束と全く同じです。
宮妃が大礼に着る装束ですから格が低い訳ではありませんが。
他の方々の装束は婚儀の装束らしく格が高いプラス華やかな襲ね色目、華やかな文様をお使いです。


上記に書いたように、赤色は入内の際の装束、青色は典侍の装束。
つまり、赤色唐衣は天皇の正妃となった五摂家や皇族の姫君、青色唐衣は典侍となれる家格、家柄の娘が着たということ。
平民出身の方が青色唐衣を着たのは、初めてということでしょう。
秩父宮妃も華族ではありませんでしたが、両親が大名家出身。
赤色は無理でも、青色は着られる家格だと思われます。
家格によって許されていた十二単の慣習が破られた。
これは、旧皇族や旧華族と一般人との違いがまた一つ無くなったということ。
雅子様が青色唐衣を着たことを、昔の身分や家格にこだわる、宮中の慣習を守りたい守旧派はどう感じたでしょうか。


もう1つ、複雑なのは、
赤色・・・たて糸が紫、よこ糸が紅(赤)
青色・・・たて糸が青、よこ糸が黄
と、一色の染めや一色の織り糸によるものではなく、2色の織り糸による重ね色目で赤色青色だということ。
資料にも貞明皇后と香淳皇后の唐衣には経紫緯紅(赤)とあります。
秩父宮妃の唐衣は、たて糸よこ糸ともに萌黄色で、萌黄色の唐衣を青色唐衣として着られたということ。
その為、資料には萌黄亀甲地、萌黄という本来の色名が記載されています。
雅子様の唐衣は青亀甲地と書かれ、秩父宮妃のものより若干青が強い。
本来の青色か、本来の青色に近いのかもしれません。
雅子様の青色唐衣は見事なものだった。
皇太子妃の装束には特別な決まりは無いだけに、ご本人や皇太子様のご希望、そして、両陛下のご意向が大きいのだと思います。

2つの青色唐衣の色の違いについて色々思うことがあった、気になることがあったことも色名にこだわった理由です。

グラス 2013/01/14(Mon)22:49:10 編集
♥ Re:赤色、青色、紫色の唐衣 美智子様は即位の礼の宮妃の装束
美智子妃と雅子妃の袴のところで、美智子妃の方がものが良い、と言ったのは、戦前の「もの」の方が技術も色目も織りも上ではないかと思っているからです。
実際、高松宮妃のご婚礼時の装束と、平成の即位礼の時の装束の実物を見てきましたが、平成の即位礼のご装束はお気の毒なほど色も浅いし、織りの技術も劣ると思いました。
まぁ、結婚式のご装束ですから、リキの入れ方が違うのは仕方のないことですが。

私は雅子妃と美智子妃の婚礼衣装を比べて、美智子さまのものの方が織りも染色も良いように思います。
雅子妃の十二単もご立派なものだと思いますが、戦前のものに比べると見劣りがします(夏物ということで、織り方の問題もあるように思います)。
袴の前に紐が垂れていますが、その鼓の形の縫い取りを見てください。
雅子妃のものは糸でかがってありますが、美智子妃のものは生地の裏におそらくコード芯を入れて(入れてないかもしれないけれども)表地を膨らまして縫い取りしたもので、手の掛かり方が違うのがわかるでしょうか?
美智子妃のご成婚の十二単は、戦後初めて作られた十二単としてニュースになりました。
はからずもグラスさんご自身が書いておられるように、昭和のご大礼(即位礼)の時に使われた皇族妃や良子皇后のご婚儀の時のご装束の寄せ集めのようです。
たぶん仕立て直したのでしょう。
まぁ、戦後復興は果たしたものの、新品が作れるほどのものが残っていなかったのか、お金を儀装馬車の方に使いすぎたかw、(良子)皇后さまのお召になったものという報道は、私記憶にありますよw
香淳さまのご婚礼の十二単は、照宮さまの時にも使われたと書かれている本も実はあるんですよ。
貞明皇后が即位礼のために用意されたものの、三笠宮ご懐妊のため御着用にならなかった五衣を百合子さまに贈られたのですが、三笠宮百合子さまのご婚礼は、戦争のさなかで、略式で行われたため、、御着用にはなられませんでした。
その貞明皇后の五衣は、信子さま、久子さまがご婚礼にご着用になられました。
この戦後のお二人のご婚礼時の唐衣は紫地の二倍織、向鶴丸文、袴は濃蘇芳(濃色とはちょっと違います)、美智子さまと同じです。
それから秩父宮妃の唐衣は萌黄で青色とはまた違う色ですよ。
あまり、実家の紋とかお印とかにあるいは禁色に拘るのはどうかと思いますけど。

まぁ、PCが直ってきたら、写真をアップしましょう。
戦前の十二単は、白黒写真だけでもその風格にタメ息が出ます。

私は、平成に入ってからのご婚礼に新品が作られたのは、やはりバブル景気はとっくに終わっていたのに、バブル体質が皇室内にむしろ蔓延ったことと、紀子さん、雅子さまのお背が高かったことなども理由だと思います。
まぁ、こういうことで技術が復元されたり継承されたりしていくわけですから、頭から反対はいたしませんがね。
1/3管理人  【2013/01/15 00:46】
♠ キコさんの十二単を新調したのがおかしい
昭和天皇が1月に崩御されてまだ日の浅い9月に婚約内定なんてやり
1月の喪が明けてから、即位式・大嘗祭のための1年のなかに紛れ込むようにして、納采の儀だの結婚だのが行われた。

即位式と大嘗祭の妨げにならず、
しかも喪明け1月の納采の儀の後で、という日程から
6月なんて、じめじめ暑い季節に結婚に相成った。

それで、十二単を新調しなくちゃいけなくなった。たかが宮妃のために。

平安時代、5月(新暦だとだいたい6月)は、結婚を忌む月だったんですがね。

いやはや、方やまだ大学院生、もう片方もイギリス留学中、まだまだ半人前の青二才同士で、兄もまだ独身、
もう少し待っていなさいと親が諭すのが当然の時期なのに
しかも祖父昭和天皇の喪も明けず、
喪が明ければ即位・大嘗祭という大がかりな盛儀が待っているという忙しい時期に
なんで結婚なんてさせたのか。
まさに不要不急の結婚ですよ。

今思うと、あのころからヘイセイという皇室は、少しおかしかったんだなと思う。
ペリドット 2013/01/15(Tue)01:12:46 編集
♥ Re:キコさんの十二単を新調したのがおかしい
>昭和天皇が1月に崩御されてまだ日の浅い9月に婚約内定なんてやり
>1月の喪が明けてから、即位式・大嘗祭のための1年のなかに紛れ込むようにして、納采の儀だの結婚だのが行われた。
>
>即位式と大嘗祭の妨げにならず、
>しかも喪明け1月の納采の儀の後で、という日程から
>6月なんて、じめじめ暑い季節に結婚に相成った。
>
>それで、十二単を新調しなくちゃいけなくなった。たかが宮妃のために。
>
>平安時代、5月(新暦だとだいたい6月)は、結婚を忌む月だったんですがね。

私は、夫婦して兄嫁の病気への無理解ぶりをテレビで晒し、かつ自分たちの方が正当とばかりドヤ顔で出てくるようになったあの醜悪な妊娠以後、あの夫婦、特に鯰をコントロールしてる紀子さんは大嫌い。
だからむしろ新品で良かったと思ってます。
即位礼では天皇と皇太子のお服は伝統的に決まっています。
貞明皇后が御帳台に登られるのは、平安初期に皇后が出御されたり、幼帝が母后に伴われて高御座にお立ちになった例以外なく、皇室の歴史上画期的なことであったので、貞明皇后のご装束をどうするか、後々のための先例となるわけですから、大変な検討作業が重ねられて、決められたわけですが、貞明皇后はその後ご懐妊と言うことで、御帳台には上がられなかった。
初めて上がられたのは香淳皇后さまですが、御衣装は、緑地(青亀甲地文)に「藤(香淳さまのお印は桃です)」の丸を白で浮き織した御表着、緑と紅梅色(これは、色にその名がついているだけで、季節を表すものではありません。これは慶事の色目とされているものです。)の織り色に鳳凰丸を浮織した御唐衣。
つまり、お召にはならなかったけれども、貞明皇后のお衣装を踏襲なさったということは、天皇の黄櫨染の御袍が決まっているように、大正時代、皇后の衣装も伝統的に決められたということだと思います。
というのは、明治天皇の即位式では、それまでのものとは違い新しい試みがあったのですが、大正の御大礼では、明治42年に、践祚・改元・即位礼・大嘗祭の規定を定め、皇室令として公布した登極令に則って、高御座が復元され、皇后のお立ちになる御帳台も設けられることになったからです。
明治末期、登極令が公布されたことは、江戸から明治への混乱期を乗り切り、外国に追いつくために西洋のものを皇室が率先して取り入れたけれども、そろそろ世の中が落ち着いて来たところで、(天皇の権威というよりは)、皇室の伝統をきちんとした形で継承していこうと言う意図を私などは感じます。

しかし、平成の即位礼では、美智子皇后のお印白樺の丸が新しくデザインされ、皇后は新しく「菊の重ね」を選ばれました。
季節感を入れられたと絶賛されました。
昭和の大礼も11月なんですがw
かくて、大正4年・昭和3年の即位礼の皇后陛下の十二単は、70余年、2代の皇后陛下を経ただけで消えて行くわけです。
雅子さまは「ハマナス」のお印をモチーフとしたお衣装を作られるのでしょうか?
予算がないからお古で、と仰るかも。
あ、美智子さまが貸してくださらないかもw「白樺の丸」は新しい禁色(色だけでなく文様も入ります、くどいけど)となるのかもしれないですね。
その時こそ「貞明皇后と香淳皇后の御五衣・御唐衣・御裳のご装束」をお召になっていただきたいです。
1/3管理人  【2013/01/15 11:26】
♠ なぜあの時期か
>喪が明ければ即位・大嘗祭という大がかりな盛儀が待っているという忙しい時期に
なんで結婚なんてさせたのか。


あの時期でなければならなかったのです。
即位式という世紀のイベントに、華子妃や百合子妃といった錚々たる出自のお妃の先頭に自分が立ち、その姿が世界に放映されるチャンスです。

浩宮さまのお妃選びは難航していた。「虐められた、苦労した」と喧伝する美智子さまを見て、お妃候補は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
もしかしたら一生独身かも、という気持ちもあったかもしれません。

きっぱりと「順番を弁えろ」と叱れなかった陛下も、情けなくはありますが。
しかし、あの程度の家柄でご遠慮するでもなく、娘を押し付けたK両親の神経、底知れぬ恐ろしさがあります。
NONAME 2013/01/15(Tue)08:54:01 編集
♠ あんまり力説すると
またキコさんがパクって作らせるわよ。
あの珍玉くんの着袴の儀で、浩宮様のものと間違えさせるような童形服を着せてたでしょ。
なんで父親のものを使わせなかったのよ?
新しく作るにしてもなんで皇太子殿下のに似せたの?
次はボクチンとこだと決まってるんだよ~んと言わんばかりじゃん。
だいたい秋篠宮家は国民に錯覚を起こさせようとしてるのか、だまし絵ばかり見せてるのは如何なものか。
Rosa wichuraiana 2013/01/15(Tue)11:55:19 編集
♥ Re:あんまり力説すると
>あの珍玉くんの着袴の儀で、浩宮様のものと間違えさせるような童形服を着せてたでしょ。
>なんで父親のものを使わせなかったのよ?
>新しく作るにしてもなんで皇太子殿下のに似せたの?
>次はボクチンとこだと決まってるんだよ~んと言わんばかりじゃん。

うん、そのつもりで美智子さんが作らせたんでしょうw
でも浩宮さまの着袴の儀の童形服は逸品中の逸品。
あれだけのものを織る人はなかなかいないでしょう。
おまけにマネさせたものだから、あんな薄らぼんやりの童形服になっちゃったんだと思うよ。
アーヤの着せれば良かったのにね。
戦前は親王さんでも次男以下の着袴の儀での半尻は白の浮織と決まっていたみたいだけど、常陸宮さんが最後になったみたいね。
アーヤのは紫だけど、格調高くてなかなかいいなと思ったんだけどね。
1/3管理人  【2013/01/15 12:54】
♠ アキシノミヤ夫妻の結婚の時期
ちゃんと日取りを余裕持って結婚したとしたら、宮妃の婚礼として、由緒正しいお衣装をむしろ着ることになったから
(華子さまや久子様のものを借りることができたから)
まあ、あれはアレで良かったということですか。

うーん、そうかも。

でも、あんなののために何千万円もかけて、もったいない。バブル体質だなあ。

キコさん側としては、一刻も早くアーヤをがっちりつかまえたかった、それは早ければ早いほど良い
(じゃないと、途中でアーヤはキコさんに飽きるかも、もっと身分にあったご令嬢に心揺れるかも)
ついでに即位に間に合えば、とってもとってもエバレてうれしい。

そういう事情があったのはよくわかります。

でも、そういうあっち側のしたたかな計算にそのまんまのせられて、あんな史上最低の下品宮妃を誕生させたばかりでなく、
余計なお金までかけて、増長させたヘイセイ皇室の成金バブル体質、情けないです。

現在どうみても筆頭宮家って不良債権ですよ。

オモテに出せないシンノーさま
(出すために細かいリハーサルだの、賢そうに見えるシチュエーション設定だの、余計な手間暇がかかります。
ふつうに運動会やお遊戯会の映像を公開すればいい、のに比べて、ああめんど)
留学してもCクラス、お金がかかっても何が身につくやらの長姉
大学に行けるかどうか微妙な次姉
そういえば、法学部政治学科を出たシンノーさんに生物学の博士号をくっつけるためにも
ものすごーいお金かかったよね。
鯰の研究、ニワトリの研究、そして現在はカッパの研究だっけ。

ああ、脱力。

ps:そうでしたそうでした、管理人様有り難うございました。訂正いたしました。

ま、どっちにしても畑違いの博士号ということで。
(しかも、博士前期課程も出てないんだもんね。
まあ、あれか、某宗教団体の代表があちこちで握手して博士号もらうのと同じなのかな)
ペリドット 2013/01/15(Tue)11:56:19 編集
♥ Re:アキシノミヤ夫妻の結婚の時期
>ちゃんと日取りを余裕持って結婚したとしたら、宮妃の婚礼として、由緒正しいお衣装をむしろ着ることになったから
>(華子さまや久子様のものを借りることができたから)
>まあ、あれはアレで良かったということですか。

あの紀子さん(というよりあのお家)では貸してくれないかもしれないw
お金持ちとかそういうんじゃなくて、そういうものの価値がわかる人なら、あんな納采の儀はやらんでしょ、そもそも。


>でも、あんなののために何千万円もかけて、もったいない。バブル体質だなあ。

>キコさん側としては、一刻も早くアーヤをがっちりつかまえたかった、それは早ければ早いほど良い
>(じゃないと、途中でアーヤはキコさんに飽きるかも、もっと身分にあったご令嬢に心揺れるかも)
>ついでに即位に間に合えば、とってもとってもエバレてうれしい。
>
>そういう事情があったのはよくわかります。
>
>でも、そういうあっち側のしたたかな計算にそのまんまのせられて、あんな史上最低の下品宮妃を誕生させたばかりでなく、
>余計なお金までかけて、増長させたヘイセイ皇室の成金バブル体質、情けないです。

美智子さんは成金体質だからね、気前よく紀子さんの十二単を作ってやることで、いい顔をしたかった、皇室のすごさを見せつけて悦に入りたかった、そんなとこじゃないかと言う気がするんですが?
皇居は焼夷弾でやられてるでしょう。
貞明皇后のお住いも燃えたというから、残ったものは少ないかもしれないですが、三笠宮家に下賜された貞明皇后の五衣はスゴイです。
今度アップしますけれども、自分が織りをやっていたからよけいにその技術の凄さに圧倒されます。
でもあの時代には職人さんとして今で言う人間国宝並の高い技術を持った方が普通にいらしたわけですよ。
岩井は雅子さまが神道関係で英語で書かれたものを要求したと、西尾なんかと一緒になって叩いていたことがありますけど、美智子皇后よりは雅子さまの方が歴史や文献を追求して理解する能力をお持ちのような気がするんですよね。
皇太子殿下は学習院の史学科で長年学んでいらっしゃるから、こういう歴史的なものの考え方の切り口とかセンスみたいなものを身に着けておられるだろうし、よけいにね。
昭和さまが生きておいでのうちでの皇太子さまのご婚礼なら、美智子皇后で途切れることはなかったと思うんですよ。

皇室は一つの文化としての継承者であるべき、って岩井とか口先だけで言うでしょう。
お金を注ぎ込んでも構わない、むしろ注ぎ込むべきってことはあるわけですが、何にもならない(とまでは言わんけど)溝にお金を捨てるようなことはせんで欲しいとは思います。
天皇皇后が全てに専門家でいる必要はないけれども(おかしなことに専門家ヅラしたがるのばっかりなのが・・・orz)、TOPが頭良くないと、こういうのってダメだよね。

あ、追加。
秋篠宮は「法学部政治学科」です。
憲法違反を物ともせず政治的発言を平気で仰るのは、よほど憲法解釈に自信がおありのようでつw
1/3管理人  【2013/01/15 13:42】
♠ キコさんと同じ頃だよ。
>お金持ちとかそういうんじゃなくて、そういうものの価値がわかる人なら、あんな納采の儀はやらんでしょ、そもそも。

知り合いで「養女」に行ってから、御曹司と結婚した子がいる。
結婚式だけでなく、何かと嫁の親やら親族やらも付き合いで出なくちゃいけないから、お父さんは一応有名企業のサラリーマンなんだけど、その会社の取締役んとこへ養女に入ってそこから嫁に行った。
「何時代の話だー」と友人間で話題になったわ。
それに比べると平成皇室は開けてたね。
無理に押し通って来たかもしれないけどね。
Rosa wichuraiana 2013/01/15(Tue)13:51:44 編集
♠ 結構バーゲンやってます(w
Re.ペリドット様
>>某宗教団体の代表があちこちで握手して博士号もらうのと同じなのかな

なんちゃら大学の博士号を買いませんかというDMが海外からよく来ます。
お金さえ出せば色んな博士号が買えるようですよ。

そんな付け焼き刃しても今の時代ちょっと検索すると内容がバレちゃうので却って恥の上塗りなのではないかと思うんですね〜
今時「名誉」博士号なんてのをありがたがるのはどこぞの田舎者か情弱膿化脳くらいかも。

チャールズ・レニー・マッキントッシュ 2013/01/16(Wed)11:30:42 編集
♠ 皇后の即位の礼の装束は、白・赤・青
>それから秩父宮妃の唐衣は萌黄で青色とはまた違う色ですよ。
あまり、実家の紋とかお印とかにあるいは禁色に拘るのはどうかと思いますけど。   


私が拘っているわけではありません。

~~~ 皇后、皇族は唐衣、表着とも二陪織、色は白、赤、青色が最も重く、打衣にも菱紋などの文を用いられる。この形式の御装束は即位礼当日紫宸殿の儀、即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀にも御召しになる。皇后の御服にはその他、帛御服があり、これは大礼の時、即位礼当日賢所大前の儀及び大嘗祭に用いられる。~~~井筒法衣店の服装史より
 
皇后、皇族は唐衣、表着とも二陪織、色は白、赤、青色が最も重く、と書かれているでしょう。
即位の礼の皇后の装束には、白、紅、萌黄が使われる。
この紅は赤、そして萌黄は青なのです。
秩父宮妃の唐衣の色が実際は萌黄だと説明しましたよね。
日本では昔から緑系の色を青と言っていた。
上皇や天皇が赤色青色を使ったのは、この色に意味があったから。
~~~平安の人達にとって色とはどのようなものだったろうか。五行思想では全ての物事の進化と後退の輪廻を五つの形に集約して説き、各々に黒・青・赤・黄・白の色を該当させて表している。その内容の充実を示して色彩は濃いほど貴ばれた。~~~
グラス 2013/01/16(Wed)13:12:19 編集
♠ グラスは何しにここへ来るん?
法衣店のホムペで台所の管理人に教えを垂れようなんてのはちと図々しいと思う。

上の記事に詳しいこと出てるじゃん。

生成りの分厚いテントなんかに使ってある布のことを布帛っていうから、帛の十二単て、要するに真っ白ってことでしょ?
美智子さんのヅラにばっかり目がいってたけどw

それにね、グラス君。
ウィキで調べたら「青」の色は20色くらいあって、禁色の青は青白橡という色らしい。
麹塵と言ってカビの色らしいよw
もちろん萌黄色とは違う。

いったい小栗夫人の言っていることの何にケチをつけたいのか、それを先に詳らかにしてくれたまへ。
Rosa wichuraiana 2013/01/16(Wed)14:41:48 編集
♥ Re:グラスは何しにここへ来るん?
>ウィキで調べたら「青」の色は20色くらいあって、禁色の青は青白橡という色らしい。
>麹塵と言ってカビの色らしいよw
>もちろん萌黄色とは違う。

禁色はほとんど染料が高価か染めの技法が難しいものだよ。
黒も紫が濃くなったものなのは、濃くなればなるだけ高い紫草がたくさん必要だから。
青丹の丹には土という意味があるそうなので、蓼藍の青と刈安やキハダの黄を重ね染めして、その按配でさまざまな緑を出していただけのところへ、もしかしたら媒染の技法が(酸化鉄の強い土だったんじゃないか?鉄媒染で茶味が強くなるんだよね)加わったのではないかと思ってる。(青丹=青白橡=山鳩色ともいう)
1/3管理人  【2013/01/18 00:16】
♠ 貞明皇后の装束も4種類 儀式には清らかな物新しい装束を身に着ける
>即位礼では天皇と皇太子のお服は伝統的に決まっています。
貞明皇后が御帳台に登られるのは、平安初期に皇后が出御されたり、幼帝が母后に伴われて高御座にお立ちになった例以外なく、皇室の歴史上画期的なことであったので、貞明皇后のご装束をどうするか、後々のための先例となるわけですから、大変な検討作業が重ねられて、決められたわけですが、貞明皇后はその後ご懐妊と言うことで、御帳台には上がられなかった。
>初めて上がられたのは香淳皇后さまですが、御衣装は、緑地(青亀甲地文)に「藤(香淳さまのお印は桃です)」の丸を白で浮き織した御表着、緑と紅梅色(これは、色にその名がついているだけで、季節を表すものではありません。これは慶事の色目とされているものです。)の織り色に鳳凰丸を浮織した御唐衣。
つまり、お召にはならなかったけれども、貞明皇后のお衣装を踏襲なさったということは、天皇の黄櫨染の御袍が決まっているように、大正時代、皇后の衣装も伝統的に決められたということだと思います。
というのは、明治天皇の即位式では、それまでのものとは違い新しい試みがあったのですが、大正の御大礼では、明治42年に、践祚・改元・即位礼・大嘗祭の規定を定め、皇室令として公布した登極令に則って、高御座が復元され、皇后のお立ちになる御帳台も設けられることになったからです。
明治末期、登極令が公布されたことは、江戸から明治への混乱期を乗り切り、外国に追いつくために西洋のものを皇室が率先して取り入れたけれども、そろそろ世の中が落ち着いて来たところで、(天皇の権威というよりは)、皇室の伝統をきちんとした形で継承していこうと言う意図を私などは感じます。

>しかし、平成の即位礼では、美智子皇后のお印白樺の丸が新しくデザインされ、皇后は新しく「菊の重ね」を選ばれました。
季節感を入れられたと絶賛されました。
昭和の大礼も11月なんですがw
>かくて、大正4年・昭和3年の即位礼の皇后陛下の十二単は、70余年、2代の皇后陛下を経ただけで消えて行くわけです。
>雅子さまは「ハマナス」のお印をモチーフとしたお衣装を作られるのでしょうか?
予算がないからお古で、と仰るかも。
あ、美智子さまが貸してくださらないかもw「白樺の丸」は新しい禁色(色だけでなく文様も入ります、くどいけど)となるのかもしれないですね。
>その時こそ「貞明皇后と香淳皇后の御五衣・御唐衣・御裳のご装束」をお召になっていただきたいです


貞明皇后の即位の礼の装束は儀式に合わせて4種類作られた筈です。
十二単は皇室の重い儀式や神事に着るもの。
清らかな物でなければいけない為、新しい装束を身に着ける。
神社の宮司も大きな儀式の際には必ず装束を新しい物にします。
だから、それぞれの儀式に真新しい物を着る為に4着作る必要があった。
美智子皇后も4種類作られた。

井筒法衣店の服装史には・・・皇后、皇族は唐衣、表着とも二陪織、色は白、赤、青色が最も重く、打衣にも菱紋などの文を用いられる。この形式の御装束は即位礼当日紫宸殿の儀、即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀にも御召しになる。皇后の御服にはその他、帛御服があり、これは大礼の時、即位礼当日賢所大前の儀及び大嘗祭に用いられる。・・・と書いてある。
管理人様も上の写真の説明にご自分で書いているじゃないですか。
{現在の帛の十二単は、江戸時代に女帝が神事にお召しになったもので、皇后陛下の儀式服としては、対象の御大礼から制定になった。}
対象は大正の間違いですよね。


平成御大礼正殿の儀・皇后の御装束

御唐衣
白小葵地
紫向松喰鶴丸
裏紫小菱

御表着
経白緯萌黄三重襷地
濃萌黄白樺の丸
裏萌葱平絹

御打衣
紫無文綾
裏紫平絹

御五衣
紅匂松立涌
裏同色平絹

御単
紅幸菱



大正御大礼賢所大前の儀装束
皇后(貞明皇后)の御装束
御唐衣
白小葵地
向鳳凰赤と萌黄の二色
裏蘇芳小菱板引

御表着
萌黄亀甲地白の藤丸
裏紫平絹

御打衣
紫綾竪菱張
裏深紫平絹

御五衣
紅雲立涌
裏二藍平絹

御単
紅幸菱

八条氏の資料です。


皇后の料は、古くは赤色や青色の織物が多いが、後深草天皇即位の時母后は白唐衣を用いた。また立后のときは唐衣と表着に白を用いるのが平安中期以降の慣例であり、これらを参照して大正以降即位の礼の皇后の料は白唐衣に緑系統の表着という組み合わせに固定化した。  ウィキより



香淳皇后は貞明皇后の十二単を着られたのではないですか。
貞明皇后が袖を通されなかったなら新品同様ですから。

大正と昭和の即位の礼は15年しか間があいていない。
その間に摂政だった昭和天皇と香淳皇后のご婚儀があった。
しかも、関東大震災の後にご婚儀、大葬の礼、即位の礼と重儀が続く。
大正の即位の礼の皇后の儀式服は手をかけ、お金をかけて作った。
装束の板引き加工は大正の即位の礼の装束までだそうですし。

十二単で他人と全く同じ色目の十二単を作り着るのはやぼなことですよ。
十二単の美しさは、色の重ねによる色彩の美しさ。
で、唐衣、表衣の裏の色目、上文の色目、五つ衣のかさね色目の選び方、組み合わせ方により、色彩が変わることから、どう組み合わせるか、センスが問われる。
他者とは違う自分のかさね色目を作るのが十二単のおしゃれです。
全く同じ色目を受け継がれた・・・というのは、装束を受け継がれたことを意味しているのだと思います。
そういうことは、はっきり口にしませんから。

グラス 2013/01/17(Thu)20:43:14 編集
♥ Re:貞明皇后の装束も4種類 儀式には清らかな物新しい装束を身に着ける

>香淳皇后は貞明皇后の十二単を着られたのではないですか。
>貞明皇后が袖を通されなかったなら新品同様ですから。

さあねぇ。
でも「貞明皇后の十二単」は昭和26年「貞明皇后御遺品」として、善光寺大本願へ御内儀扱いで下賜されてます。
香淳さまは着用してからまた貞明さまにご返却なされた、とでも?

>その間に摂政だった昭和天皇と香淳皇后のご婚儀があった。
>しかも、関東大震災の後にご婚儀、大葬の礼、即位の礼と重儀が続く。
>大正の即位の礼の皇后の儀式服は手をかけ、お金をかけて作った。
>装束の板引き加工は大正の即位の礼の装束までだそうですし。

ご婚礼の十二単はご実家で用意なさいますが(香淳さまのご成婚のお衣装は久邇家が京都高島屋に依頼されたとか)、即位礼は皇室の費用で作ります。
あの時代ですからお古は着せないでしょう。
ただ手間のかかる板引加工はやめた、ということでしょう。

>十二単で他人と全く同じ色目の十二単を作り着るのはやぼなことですよ。

自分が調べた範囲がすべて正しく、そこから導き出した答えから「やぼ」などと結論づけるのはいかがなものかw

私が言いたいのは、大正の即位礼に貞明皇后が後々の先例となるよう過去の事例など調べ、検討された「緑と赤」の慶事の色目の十二単を、昭和の即位礼では香淳皇后は踏襲し、同じ「緑と赤」の慶事の色目でお作りになった(ただし、板引きでお作りにはならなかった)。
美智子皇后は平成のご大礼で「菊の重ね」という色目をお選びになった。


>十二単の美しさは、色の重ねによる色彩の美しさ。
>で、唐衣、表衣の裏の色目、上文の色目、五つ衣のかさね色目の選び方、組み合わせ方により、色彩が変わることから、どう組み合わせるか、センスが問われる。
>他者とは違う自分のかさね色目を作るのが十二単のおしゃれです。

貞明皇后は天皇=黄櫨染の御袍と伝統的に決まっているので、初めて御帳台に立たれるにあたり、「先例」となるようさまざま検討して「慶事の色目」を決められた。
美智子皇后は「おしゃれ」を意識されて「菊の重ね」という色目をチョイスされた、というわけですね。

>全く同じ色目を受け継がれた・・・というのは、装束を受け継がれたことを意味しているのだと思います。
>そういうことは、はっきり口にしませんから。

上位の方が下位の者に衣を下されるということはよくあることですが、「皇后」という立場を一番よく理解しておられた貞明さまが(大正天皇がお亡くなりになった直後、枕頭におられた貞明さまは、ご自分のおられた場所を良子さまに譲られたというお話が伝えられておりますが)即位礼の御料(というのだそうですが)を香淳さまに継承したのなら、自分の遺品として善光寺に賜るなんてことをなさるとは思えないのですが?

グラスさんって、美智子皇后を最高基準として、貞明さまや香淳さまの「事実」を時代をさかのぼって考えるんですねw
「先例」をもって続いてきたことがほとんどの宮中行事にあって、美智子さんの「革命ぶり」はすごいな、と思っていたのですが、即位礼にも「古式に則って、その中にもご自分の御趣味はちゃんとお入れになる」。
しかし、その他の宮妃・内親王は一律(年齢で色分け)、女官たちはちゃんと禁色の御法を守って、それ以外の色で。
費用も嵩みますからね、本当にご立派ですね。

ところで、貞明皇后のご装束は本当に4種類ですか?
出来るなら書き出していただきたいのですが。
1/3管理人  【2013/01/17 22:19】
♠ 管理人さんの言いたいこと
グラスは前は貞明皇后や香淳皇后は若かったから派手にしたけど、美智子さんは50代だから地味にしたと言っていたけどね、今度はおしゃれのセンスに変わったんだw
都合のいいことでwwwww
Rosa wichuraiana 2013/01/17(Thu)23:18:45 編集
♥ Re:管理人さんの言いたいこと
やーねー、そんなこと言ってないわよ。
ただ、グラス君の説は、最初から私のを読まず、ただやり込めようというだけで書かれて来たものだろうと思ってます。
ところが一向に管理人がへこまないので、とうとう検索をかけて八条忠基氏のサイトや井筒法衣店のサイトで調べたんでしょう。
大正の即位式で貞明皇后がお召しになるはずだった
唐衣=白小葵文浮織に、赤・萌黄の向鳳凰丸を上文とする二倍織物(赤・萌黄が慶事の色目)、裏は蘇芳小菱文固地綾を板引き
裳=白三重襷文固地綾に桐竹鳳凰の地摺

平成の即位礼の美智子皇后
唐衣=白、表地は小葵を浮地文に紫色の向鶴(むかいづる)の丸を上文とした二倍織物(ふたえおりもの)。紫色の小菱文の固地綾(かたじあや)を裏とする「菊の重ね」の色目。
裳=白色で三重襷文固地綾、地摺り(じずり)によって松と鶴の文様

私は、天皇さんが黄櫨染に桐竹鳳凰の御袍なので、皇后の唐衣は鳳凰の丸の上文にしたと思うのね。
そして裳は桐竹鳳凰。
でも美智子皇后は「鳳凰」を捨てた、なぜかな?って思ったの。
天皇に対して慈愛のご遠慮か、国民に寄り添う権威主義からの脱却か、まぁ、開発独裁を長年やってこられたから、「踏襲なんて古臭いことは改めねば、これからはアテクシがルールブックよ」ってとこかな、と思ってますが。
1/3管理人  【2013/01/17 23:59】
♠ グラスって勝谷みたい?
Rosa wichuraiana 様
>グラスは ~ 略 ~ 都合のいいことでwwwww

みりぃ様、みすず様が書いた、勝谷への怒り

それらを読んでいたら、
     グラスって勝谷みたい?
と思ったとですぅ★


いえね、勝谷って人は、
「小和田恒氏は、国際司法裁判所におられる立派な方」 と肯定してたのに、次のTVでは 「国際司法裁判所になんかにいる! 皇太子妃の親は表に出るな! 隠居しろ!」 って言いくさったんだよね。
相互選挙 (だったっけ?) で半数以上の票を獲得して国際司法裁判所ヾ長になられたなんて、日本人にとって最高の誇り、名誉、光栄であるはずなのに、勝谷は批判したんだよね。それって勝谷による国際司法への冒涜でもあると思う!
(死者を鞭打ちたくはないけれど) 故三宅久之の完全なる大間違い発言にも、勝谷はウンウン頷いてた。
他には、
花田 (元、週刊文春編集長) クンを 「俺に全部おっかぶせて逃げ出した卑怯な奴だ!」 ってボロクソ言ってたのに、その花田クンとTV番組で同時出演したら、花田クンにペコペコ頭下げてたんだよね。

自分の都合が良くなるようにコロコロ変わるのが、似てるかな~、ってね。


あたしゃ実はね、グラスってバカではないと思ってんだよね。 ← アテクシって優しい婆でしょ♪
でも、とにかく ネチネチ & グダグダ の垂れ流しだけで、キッチンから質問されても、グラスは自分にとって都合のいい事しか答えない。
何て言うのかなぁ? 
「アテクシ凄いでしょ♪ (者ども! 平伏せ! 感謝しろ!) 」 って フンガー してるんだけど、端から見たら ppp というか乖離してるって感じがして仕方ないのは、たぶん不思議な事ではあるまい。
ガーネット 2013/01/18(Fri)00:13:55 編集
♠ 十二単と束帯の違い
管理人様は即位の礼の皇后の装束の色目や文様が大正時代に規定されたと思っている。
そして、貞明皇后の色目や文様を美智子様が踏襲しなかったことは、大正での決め事を破った、おかしいと思っているようですが。
それが、そもそも大きな勘違い。
即位の礼の皇后の装束については色目や文様までこと細かく固定し、規定してないのですから。
十二単というのは、束帯と違い、細かい決まりはないし、束帯のような細かい決まりは定めないものなのです。
なぜなら、束帯と違って十二単はおしゃれの要素が大きいから。
束帯が公式な服であったのに対し、十二単が元々公式な服ではなかったからです。


男性は朝廷で公的な役割を担っていた。
貴族の男性は朝廷に仕え、位階を与えられる。
そこで、公式な服である束帯の袍には、朝廷での立場や位階に応じて色彩が定められていた。
聖徳太子の冠位十二階はご存知ですよね。
最初は位階によって冠の色を決めていたのが、束帯の袍の色で位階を示すように変わっていきました。

女性は、天皇や皇族の私的な場である奥勤めでした。
公的な立場に無く、公式な場に出ることも無い。
だから、立場や位階を服の色目で示す必要が無かった。
どんな色目の十二単を着るかはおしゃれの意味合いが強かった。
他者と全く同じ色目にはしない。
それぞれの色目の違い、色彩の違いで美しさを競う。
他者とは違う自分だけの色目を着ることが十二単の特色であり、おしゃれであり、高位に属する女性だけの特権だった。
十二単を新調するのに高い費用がかかったのは今も昔も同じです。
お仕えする方からお下がりを貰って着るような女性達は当然ながら自分だけの色目を着ることなど出来なかったでしょう。
他者と違う色目、自分だけの色目を着るというのは、高位に属する証。
だから、皇后の即位の礼の装束については、白、赤、青という最も重い色を使うといった大まかな決まりだけで、唐衣や表衣の表と裏の色、上文の色、五つ衣のかさね色、全てを細かく定め固定するということはしなかったのです。
歴代の皇后が全く同じ色目では、まるでお下がり。
お下がりを着るというのは、下位の者がすることです。


>「先例」をもって続いてきたことがほとんどの宮中行事にあって、美智子さんの「革命ぶり」はすごいな、と思っていたのですが、即位礼にも「古式に則って、その中にもご自分の御趣味はちゃんとお入れになる」。
>しかし、その他の宮妃・内親王は一律(年齢で色分け)、女官たちはちゃんと禁色の御法を守って、それ以外の色で。
>費用も嵩みますからね、本当にご立派ですね。


即位の礼の宮妃や女官の装束については、大正の時点で束帯と同様に細かく規定されたようです。
大正と平成の即位の礼での宮妃や女官の装束は同じ。
十二単だって細かい決まりはあるし、同じ色目を着るじゃない・・・と言われそうですが。
戦前のお妃の婚儀の十二単、資料を見る限り、全く同じ色目を着ている方々はいらっしゃいません。
婚儀では、主役となる宮妃がご自分だけの色目の十二単を着ることが出来たのです。


江戸時代までは高位の袍を着る、それに自分の家紋を入れる・・・それが男性のステータスであった。
それが、束帯の袍に家紋を入れる慣習は禁止され、文様についても立場に応じて細かく定められました。
ところが、十二単については禁止されないまま、大正以降も婚儀の唐衣に実家の家紋を入れています。
束帯と奥勤めの女房装束だった十二単は違う。
十二単には束帯のように決まりを厳格に当てはめないというのが理由。
こういったことについては、宮中装束を作成している高田装束のサイトでも、簡単に説明してあります。
で、確かに、十二単は昔から禁色の赤を紅と称して着ることは許されるなど束帯ほど厳格に規制されませんでしたが。
十二単の家紋入り継続は、宮家や五摂家の要望だったのではないでしょうか。
天皇の配偶者は皇族か五摂家という決まりは、維新後も堅持されていた。
皇后や妃が実家の家紋を唐衣や表衣に付けるというのは、出自を示すだけでなく、皇后や妃になれる家格や家柄を誇示するものです。
身分制度がなくなり社会が大きく変わった現代で、実家の家紋を十二単に付ける慣習を継続すべきでしょうか。
日本の社会が変わり、皇室も変わっていく中で、変えなければいけないことも出てくる。
その1つが十二単の文様だった。
雅子様のクチナシもまたそういうことであったのだと思います。


十二単の色目については、昭和の初期から戦前にかけて、大きな改革があったようです。
雅子様紀子様の婚儀の十二単の色目も、その改革を踏まえて将来に繋げるものでしょう。
それについては、また改めて。

グラス 2013/01/18(Fri)03:19:00 編集
♠ 女性天皇には鳳凰を 女性天皇と皇后が同じではいけない
>平成の即位礼の美智子皇后
唐衣=白、表地は小葵を浮地文に紫色の向鶴(むかいづる)の丸を上文とした二倍織物(ふたえおりもの)。紫色の小菱文の固地綾(かたじあや)を裏とする「菊の重ね」の色目。
裳=白色で三重襷文固地綾、地摺り(じずり)によって松と鶴の文様

>私は、天皇さんが黄櫨染に桐竹鳳凰の御袍なので、皇后の唐衣は鳳凰の丸の上文にしたと思うのね。
そして裳は桐竹鳳凰。
でも美智子皇后は「鳳凰」を捨てた、なぜかな?って思ったの。
天皇に対して慈愛のご遠慮か、国民に寄り添う権威主義からの脱却か、まぁ、開発独裁を長年やってこられたから、「踏襲なんて古臭いことは改めねば、これからはアテクシがルールブックよ」ってとこかな、と思ってますが。


決まっているじゃないですか。
女性天皇にこそ鳳凰が相応しい。
女性天皇の為に使わないのですよ。

女性天皇が誕生した場合、即位の礼の式服は十二単です。
唐衣の上文には天皇の文様である鳳凰が相応しい。
皇后が鳳凰を唐衣の上文とするのが慣例となれば、女性天皇と皇后の上文は同じになってしまいます。
女性天皇と皇后の十二単には明確な違い、格差を設ける必要がある。
だから、皇后に相応しい新たな文様が作られたのでしょう。


愛子様が誕生したのはずっと後ですが、平成の御代は女性天皇容認、女系天皇容認の為の改革が大きな課題だったのではないでしょうか。

皇位継承が男系男子であった場合、男性と女性の装束の違いがそのまま継承者とお妃の違いとなります。
しかし、女性も継承者になれば、女性皇族には継承者とお妃、二通りの方が居るということになる。
そして、女子皇族が皇太子になった場合、皇太子の束帯のように女性皇族との明らかな違いが必要です。

私は、平成の皇室がこれまでの慣例を変え
赤色唐衣・・・女性皇太子用
青色唐衣・・・皇太子妃用
と考えているのではないかと推測しています。

グラス 2013/01/18(Fri)04:25:39 編集
♠ ァ'`,、'`,、'`ヾ(,,-∀-,,)シ ,、'`,、'`,、
>決まっているじゃないですか。
>女性天皇にこそ鳳凰が相応しい。
>女性天皇の為に使わないのですよ。

>女性天皇が誕生した場合、即位の礼の式服は十二単です。
>唐衣の上文には天皇の文様である鳳凰が相応しい。
>皇后が鳳凰を唐衣の上文とするのが慣例となれば、女性天皇と皇后の上文は同じになってしまいます。
>女性天皇と皇后の十二単には明確な違い、格差を設ける必要がある。
>だから、皇后に相応しい新たな文様が作られたのでしょう。

自愛の美智子さんが、未来の女性天皇のために鳳凰を封印したんだって!
あの人はちょっとしたことだって我慢なんかしない人だと思うな。
「どうしてわかってくださらないの」って、創●●会並みに折伏、もしくはいつか見て子のリベンジ画策。
美智子さんがこんな殊勝な人だったら、愛子様はもっと大事にされてますよ。
雅子様だって10年も頑張ってきて、ようやくお子様がお出来になったとたん病まれるなんてことにはならなかったよ。
あの拘りのガンダムスーツが美智子さんという人を如実に表してるじゃん。

私は小栗さんには悪いけど即位礼の十二単は貞明皇后が作って香淳皇后が着たんだと思う。
この点ではグラス派なんだ。
例え下賜されたものでも国が即位礼に使うと言えば善光寺だって喜んで貸し出すでしょう。
でも美智子さんがお古は嫌だとごねたんだよ、きっと。
あの人はごねると言うより、この時とばかりに何でも新調する人だよね。
いろんな理屈をくっつけてね。
ガーネット様だっけ、即位礼が出来なかったので、なかなか天皇になれなかった皇太子がいたって言っておられなかった?
美智子さんが香淳皇后のを着てたら、伝統という理由で続けていくのは簡単になったのにね。
Rosa wichuraiana 2013/01/18(Fri)09:02:18 編集
♥ Re:ァ'`,、'`,、'`ヾ(,,-∀-,,)シ ,、'`,、'`,、
>自愛の美智子さんが、未来の女性天皇のために鳳凰を封印したんだって!
そうなると、雅子さまのご成婚のお衣装は、桐竹鳳凰の地摺り絵の裳。
そのうち遡って「天皇と同じ桐竹鳳凰を使った、雅子何様!美智子様でさえ御遠慮なされたのに」って叩かれるのかな?
紀子さんは親王を産んだから特別に「白樺の丸」を許されるとかw

でもグラス氏の話はあんまりあてにならないね。
帛の十二単は「江戸時代に女帝が神事にお召しになったもの」と書かれているもの。
それを貞明皇后が「皇后の儀式服」として制定したんでしょ。
1/3管理人  【2013/01/18 11:13】
♠ 愚ラス、プロファイル?
要はテンノーコーゴー、とりわけミチコ皇后が非難されたり揶揄されたりするのがゼーッタイに許せないのね。
(どうしてわかって下さらないの?)

そのためなら、女性天皇女系天皇賛成という二枚舌も使います。
(「憲法を尊重する」「民主的な」テンノーコーゴーというイメージには、女性天皇・女系天皇反対ってのは、マズイってこと、わかってるんだけど)

でも、本音はアキシノミヤとくとくプランの推進者でございます。
(アテクシに擦り寄ってくるアキシノミヤたちがかわいくって。
それに、アキシノミヤを何であの時結婚させたのか何て探られたら大変だし)

()のなかは妄想でございます。
愚ラスさんが仕えるテンノーコーゴーの心の内を推測させて頂きました。


psそう言えば、宮内庁のホームページの写真入り皇族方の系図を見てびっくり。

あの両陛下はどなたでしょうか。「平成の両陛下」のお写真じゃないよね?
マコちゃん、あんなに痩せてた時無いよね。
カコちゃん、あんなにふつうな時あったっけ。ピアス穴どうした?
悠ちゃんも、奇跡の一枚。

愚ラス氏の妄想にぴったり合致するグラス国はここにあったのかと思いました。
NONAME 2013/01/18(Fri)09:40:21 編集
♥ Re:愚ラス、プロファイル?
>psそう言えば、宮内庁のホームページの写真入り皇族方の系図を見てびっくり。
>
>あの両陛下はどなたでしょうか。「平成の両陛下」のお写真じゃないよね?
>マコちゃん、あんなに痩せてた時無いよね。
>カコちゃん、あんなにふつうな時あったっけ。ピアス穴どうした?
>悠ちゃんも、奇跡の一枚。
>
>愚ラス氏の妄想にぴったり合致するグラス国はここにあったのかと思いました。

あはは、ホントだ!
http://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/koseizu.html

皇太子家と三笠宮・高円宮両家の女王様方は、本当におざなりな写真が使われてますね。
(宮内庁のHPの作成・管理の人たちが紀子妃実父の人脈だって噂があるけれども、この構成図を見る限りでは、その噂もあながちウソではないってことかしらw)
1/3管理人  【2013/01/18 10:57】
♠ 願望?
http://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/koseizu.html

NONAME様が紹介して下さいました宮内庁のページ見に行ってみてびっくり!
敬宮愛子内親王とは書いていない。

傍系の、宮号のないお子様と同じような扱い!
宮内庁のページなのに!
これこそ職務怠慢ではありませんか。
こういう場合はどこに苦情を入れればよろしいのでしょうか?

写真を見てそのページの作成者の立ち位置と願望を見ました。
でもどうぞ名称だけは変更して写真はそのままにしておいてください。
五年後十年後に「Now and Then」として楽しませて頂きますから(w
チャールズ・レニー・マッキントッシュ 2013/01/18(Fri)12:58:03 編集
♠ 明正女帝と後桜町女帝

興子内親王 = 明正女帝の即位(御年8歳)

860年ぶりの女帝が着した礼服は、宝冠、白の大袖、小袖という装束で、8歳という御年のため新調せざるをえなかった。

公卿の二条康道日記より
「袞竜ヲメスベキ御事ナレドモ、女帝ニマシマセバ、古代ノタメシニ任セ、白キ御衣ナリトゾ聞ヘシ。」
これは、平安時代の弘仁11年頃より以降、即位儀には男帝は袞衣で、女帝は白(帛)衣とする故実によったためである。
今日もであるが、当時の人も、天皇が即位する時、男帝と女帝とでは装束が相違するということを、多くの人は知らなかったようである。

しかし面白い事に、当時、上方浮世絵師の大成者と言われる西川祐信が描いた「百人女郎品定」の中に見られる女帝の装束は、男帝の装束なのである。
その挿絵からは分かりにくいが、女帝が着装している赤の大袖には、その両袖に竜の縫い取りの他に大袖全体に日・月などの刺繍が総計で12も施されている。これが、袞衣である。
西川祐信は上方の人間であるゆえ、江戸よりは天皇家への関心があったと思われるが、男帝の装束としたその本心は、いまだ論争されている。





智子内親王 = 後桜町女帝の即位(御年24歳)

8歳の幼女と24歳の成人とでは、その即位儀は異なることが少なくなかった。
後桜町は伝統に則り、当時内蔵寮が保管していた「古物」の女帝装束が運び出されており、これは「礼服御覧」と呼ばれる儀式で、新帝即位にあたり、事前の男帝と女帝の礼服を内覧することである。
智子内親王による女帝即位であるから、男帝の装束は返され、残された女帝の礼服を着装する予定であった。この予定された女帝の礼服は、古代最後の女帝である孝謙=称徳女帝が即位儀に使用されたものと考えられている。
しかし、称徳女帝の即位以来、使用することのなかった礼服は、そのままでは着用する事ができず、結局は白絹の大袖、小袖その他を新調している。それらは総じて白を基調としているが、なぜか、「沓」だけは男帝と同じ赤であった。

そして後桜町女帝は、明正女帝が挙行しなかった重要な儀礼すなわち大嘗祭を行っている。
大嘗祭については、1500年に即位した後柏原天皇より以降、後奈良天皇、正親町天皇、後陽成天皇、後水尾天皇、明正女帝、後光明天皇、後西天皇、霊元天皇は挙行できなかった。何故ならば費用が莫大で、天皇家の権威だけでは、その費用を調達できなかったからである。
さらに、後桜町女帝は、明正女帝の御代にあった院政がしかれることは無く、天皇親政の統治形態となっている。


『日本の女性天皇』荒木敏夫 著(小学館文庫)を参考す。




新年の御挨拶が遅くなった非礼を、どうかお許し下され。
管理人殿、淑女の方々、今年も宜しくお願い申し上げまする。
吹上御所の雑草 2013/01/19(Sat)00:34:05 編集
♥ Re:明正女帝と後桜町女帝
有難うございます。
とても勉強になります。
今年もよろしくお願いいたします。
1/3管理人  【2013/01/19 02:20】
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