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がんばれ東宮職!
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皇后の夕方からの祝宴で、皇太子ご夫妻が9時10分に帰った、一応辞去の時刻は9時30分くらいだろうと見当をつけていたのに、20分も早く帰った、秋篠宮・黒田両夫妻は10時過ぎくらいまで、お話をしておられたのに!
20分も!早く帰った、早く帰った。
その上、皇后は「あちらとは途絶」と言っているそうな。
ちゃんと祝賀に来てくれてるのに「途絶」とはこれ如何に?

皇太子様は、昔から宴は、早くに帰ることにしておられるようだ。
遅くなってはお付きの方に悪いと思われているらしく、むしろお付きの方々が気の毒がって「私たちなら大丈夫です」と言葉を返すこともあると、いろいろなエピソードで言われている。

こういう方が、夕方6時から始まった自分の母親の祝宴を9時10分に辞去して、何がいけないのかね?
後でわかったことだけれども、もう天皇は疲れがたまって、具合が悪かったそうじゃないか。
当日の主役の美智子さんも朝から祝賀につぐ祝賀で、いくら喜寿だからと言っても、大概にしておいたほうがいいと、国民は思いますが、息子が20分早く帰ったことが、そんなに許せませんかね?

酒井美意子さんの「皇室のマナー」に照らしてみると、家族の集まりとはいっても、皇太子夫妻・秋篠宮夫妻・黒田夫妻の中で、格からいえば皇太子ご夫妻が主賓。

鳳凰文庫、酒井美意子著「皇室に学ぶマナー」には、「主賓は他の方たちのためにも、辞去のタイミングを自らつくりださなければならない」とある。
弟と妹はその後2時間くらいくっちゃべっていたそうだから、自分の好きにしていたのであり、別に何の不都合もなさそうなのに、なぜ20分くらいのことでマスコミに垂れこんで叩くのか?

あ、そうか、酒井美意子氏の言う「皇室」は「昭和の皇室」であって、平成皇室にはそぐわないんですね。
  

この「深曽木」も髪の長さで行うものだったので、儀式の年齢などは一定しなかったのですが、これも室町のころに、男は5歳、女の子は4歳でするようになり、日取りも11月や12月中の吉日が選ばれました。
江戸時代の初期には、基盤の上で左右の足に青石を踏んで立つという形が、「深曽木」の儀の形式として定着します。
またこのころ、儀式に臨む子供の装束として、皇子は「半尻」に「前張袴」で、皇女は「衵」姿でした。

  

☆着袴の儀    子供が初めて袴を着ける儀式

☆京都高倉家の場合

・天明8年(1788)11月19日   前もって式の期日占ったところ、この日が吉日、時刻は卯の刻と辰の刻が良いと出たので、辰の刻(御膳7時から9時の間)に行う
・寝殿の四方には「御簾」を掛け、南北と西の御簾は垂らし、東側の御簾だけ間口いっぱいにすべてを巻きあげておいて、式場が東向きに設営されていることを示す。
・西側の御簾の南端の1つだけを巻き上げ、ここを式場への出入り口をする。
・式場の中は中央西よりのところに子供の座として「円座(わろうだ)」を置き、北側のところに袴を結ぶ役である「腰結人」の座として南向きに畳を置く。

☆登場人物
・5歳の子本人
・「腰結人」・・・「袴」を履かせる役、子供の父親(この時は父親が早くに亡くなったので祖父が代行)
・「前装束人」・・・腰結人を手伝って衣紋の奉仕をする(左衛門大尉兼越前守・従五位下)
・当屋敷の家司(※)・・・細々とした諸事をとりしきる(朝廷では右衛門少尉兼近江之介・正七位相当)
                          ※親王家や摂関家、大臣家などの家の事務を執った職員
・近江之介の補佐役2名・・・近江之介より軽輩の監物・図書大允 
                         
☆式次第

①辰の刻、近江之介が「広蓋」に、この日の儀式で子供の着る「童直衣・濃色の単・濃色の下袴・横目扇」を入れて、西側の簾を巻きあげてある入り口から式場に入り、子供の円座の左横(東側)に置いてすぐに退場。
近江之介は、風折烏帽子を着け、指貫の袴に狩衣。

②近江之介は「主役の子供」を導いて再び式場に入り、こどもを円座で南向きに座らせると、また退場。

③「腰結人」入場、北側にある「腰結人の座」へ進み、南面して座る。
腰結人は、立烏帽子に指貫の袴、単、直衣姿。

④近江之介「柳筥」(※)に髪をくしけずるための「ゆする(サンズイに甘:コメのとぎ汁)の入った小さな「ゆする坏」(※)をのせて入場、子供の座の右側に置く。
          ※「柳筥」・・・柳の木を三面体で細長く削り、生糸や紙元結で綴じ合わせて組み立てた箱
          ※「ゆする坏」・・・銀製の容器で洗髪用の米のとぎ水(ゆする)を入れた

⑤監物と図書大允が「櫛」一つ、「簪」二つのはいった「乱筥」と青石を二つ載せた「碁盤」とを式場に運びこむ。








(続く)
  

ここには、古典に詳しい方、作歌に長けた方、たくさんいらっしゃいます。
古の装束について、ご存知の方もいらっしゃると思います。
衣紋道史料の保存収集の「高倉文化研究所」主宰の著作から、「汗衫」の説明文を引用します。

「汗衫」は上着である「袍」の背の部分がたいへん長く、清少納言が「枕草子」の中で「尻長と言へかし」と言っているほどです。
「汗衫」の装束の構成は、濃色の「長袴」に白浮織物の「表袴」を着け、「単」を着してその上に子供用の「衵」を何枚か重ね、さらに「打衣」を重ねた一番上に「汗衫の袍」をまとう、というものです。腰は男物のような「石帯」でとめることも、「当腰」でとめることもありました。さらに、袍の形もさることながら、長袴の上に短い袴を重ねてはくのも、ほかの装束には見られない特徴のひとつです。


敬宮殿下の白菊の丸の細長とは、襟の形が違うことがお分かりかと思います。
衽(おくみ)がないので、羽織る形なのは「細長」と同じだけれども、後ろは長い袍を引いた形。
あと、違いで言うと「汗衫」というのは厳密に言えば、装束の一つで、表着や袴などトータルなものの名称であること。
  

♠ 確か… (真珠様 wrote)
愛子さまの着袴の儀の映像でも、当日ではなく数日前に練習した折の映像がニュースに流れました。練習では赤いお衣装で、儀式当日のお玄関にお出ましなされた時のお衣装は愛らしい濃桃色だったと思います。 
そして、ニュースで流れたその映像をエサに「練習の映像しか出せないのは、やはりおかしいから」等バカな批判が当時ネットを賑わせたものでした。 
さて、その時に批判した輩ども!ご自慢の悠くんは練習でさえ足元ふらふらの着地でしたね。どうして本番の映像が流れないのでしょう?ご回答をお願いしたいものです。 



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全くお恥ずかしいことですが、私はピンクのは道中着みたいなもので、本当の儀式の時は、敬宮殿下もサーヤが着ていたような十二単の簡単版みたいなのを羽織るのだろうと思ってました。
つまり正式なのは赤い十二単の方なのだろうと勝手に思っていました。

しかし!皇太子殿下は史学科の出でいらっしゃるのを忘れていました。
真珠様がおっしゃるように、赤い十二単映像は練習の時のものでしたが、皇太子ご夫妻は「本番はきちんと正式にやりましたよ」と言うことを、ちゃーんと国民に教えてくださっていたのでした。

「十二単のはなし」 P238

「細長」は、平安時代の形式についてははっきりした資料もなく・・・(中略)・・・江戸時代の細長を闕てき(けってき:てきは月偏に夜)形式(両脇を縫い綴じず、前後の身頃が離れていること)で仕立てたものではないかとの推察があります(※敬宮殿下お召しの赤い方の御装束)。この「細長」には「うちき(掛の手偏を衣偏に替えた字)」などとは異なり「衽(おくみ)」がありません。ですから襟は身頃に直接つけられていて、名前の通りさすがに細長い感じのする装束です。(中略)
江戸時代に再興された「細長」では、皇女の「深曽木の儀」などの晴れの場にもちいられたので、地質も浮織物などの豪華なものが使われました。紀宮清子内親王殿下の「着袴の儀」のときのお姿も「細長」をお召しになっているのでした。


本来は「衵」の上にさらに「打衣」を重ねるのが正式だったのですが、平安時代も末ごろには「打衣」を用いることが少なくなっていき、鎌倉時代には省略するのが当たり前になってしまいます。鎌倉時代の装束の色目について書かれた「式目抄」によると、「衵」は二枚重ねて着るのが本儀である・・・(後略)
天皇・東宮の「衵」の色は緋色で、・・・(中略)・・衵には柔らかい絹を張らせて仕立てた「ふくさ張り」と、つややかに特殊な糊で固めた「板引き」とがあります。室町時代の初期には、天皇・東宮の「衵」は「板引」関白以下のものは「ふくさ張り」(糊張りなどの固く張らせる作業をせず、絹本来の柔らかさを出した仕立て方)と決まってます。

童の衵装束

これは、簡単に言うと羽織って着る装束のひとつですが、主に成人用の丈の長い「うちき」に対して丈の非常に短いもので、子供の着丈よりも少し短いくらいの寸法に仕立てます。これを何枚も重ねて着た姿を「童の衵装束」と言うのです。
江戸時代初期の「後水尾院年中行事」には、皇女は「深曽木」の儀で「衵」を着るとあります。
事実、江戸時代の皇女が深曽木の儀でお召しになる衵を高倉家から調進した記録やその衵の舞などが現在も保存されていて、往時の皇女の衵姿をしのばせます。


鳳凰文庫の表題の本の著者は、衣紋道高倉流第二十五代宗家を補佐する会頭で、平成2年の即位の御大礼に関する一連の儀式(即位礼・大嘗祭・立太子礼)において、天皇陛下・皇太子殿下の「お服上げ」を永満宗家とともに努められた方です。


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以上のことから、敬宮殿下は練習を「細長」でおやりになり、本番は「衵」でおやりになったのだと思います。
「衵」の赤い色は禁色ですから、おそらく濃桃色になさったのかと、さらに、お袖がピンと張っておりますので、「板引」(最高の仕立て方)、本儀どおり2枚重ねてお召しでいらっしゃいます。
玄関へのお出ましだけで、皇女として、本来のしきたりに則り、本番をきちんとおやりになったことがわかりますね^^
 
  


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某掲示板で知り合って、メールをやりとりするようになった仲良し?人組です。
考え方はそれぞれですが、皇太子様御一家を陰ながら応援したい気持ちは一致しています。
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